操舵号令の歴史事情
船では船首に向って右側を右舷(スターボード)、左側を左舷(ポート)と呼んでいます。この船の左右舷の呼称は昔から変わりようはありません。それなのに操舵号令についてなぜ前記のような現在の号令と反対であったのか。これについては歴史的な経緯がありますのでその辺りの話をしましよう。
船の舵を動かす手段としては最近のような舵輪が使用される前には今のボートと同じように図のような「舵柄」を左右に動かしていました。
帆船時代は操帆と操舵の双方で船首を回すので、風中心の「WHEATHER・HELME」(舵柄を風上にとれ)のように舵柄を動かす号令の方が合理的であった訳です。
同様に「スターボード」という号令は元来「舵柄を右に押せ」ということで、号令と操舵手の動作という関係では矛盾なかったのです。ただし、船首は左転することでは現在とは反対となっていました。「ポート」はその反対でした。
17世紀の英国航海条例のころから使用されたこのような号令は、舵輪時代になっても20世紀初頭のタイタニックの事故当時まで使用されていたのです。
操舵号令のルール化
タイタニックの大海難を契機として、海上における人命の安全のための国際会議が1929年ロンドンで開催され、種々の安全対策を盛り込んだ国際条約(SOLAS条約)が改正されました。
当時、イギリス、アメリカ、日本等はタイタニックと同じ間接法、フランスは直接法によっていたのを国際的に統一しようということになり同条約の第41規則で、「操舵手に対する命令は船首を回そうとする方向と命令舷が一致する直説法によるべきこと」が明記されました。
わが国では、この基本ルールに基づいて船舶安全法施行規則(昭和9年逓信省令第9号)の第170号で次のように規定されました。
「操舵命令ハ船舶ノ前進中其ノ船首ヲ転ズル方向を直接二示ス語ヲ使用スベシ」
この規定は、1948年にSOLAS条約の本則から「国際海上予防規則」の第32規則に移し替えられたため、わが国では昭和28年の海上衝突予防法で規定されました。
当時私は法令をみて、なぜ今ごろ予防法にこのようなルールが入ったのか不思議に思ったものです。
その後、国際条約の改正にともなって海上衝突予防法も改正され、その過程で操舵号令に関する規定はどこにも見当たらなくなってしまいました。
それでは、旧帝国海軍ではどうであったかというと、操舵号令も当然日本語で、早くから、船首を向けようとする舷で示し右回頭は面舵(おもかじ)、左回頭は取り舵(と一りかじ)としていました。以上が操舵号令に関する秘話とでもいうものです。