タイタニックとハードスターボード
海難研究家
福島 弘
「SOS」と「GMDSS」
映画「タイタニック」の3時間以上にわたる壮大な海難物語は、海に生き・海を愛する者だけでなく多くの観客を興奮と感動のるつぼに落とし込みました。
映画はその後も上映が続いているようで、昨年末にはそのビデオが販売され、過去最大の売り上げが予想されているとか。私は、このコンピューターグラフィックを駆使したスケールの大きい、特に氷山に衝突してから船体が海中に没するまでの観客を圧倒するシーンは、テレビでは伝わらないのでぜひ映画館に足を運んでみていただきたいものと思っています。
「SOS」という文字、言葉については、皆さんご承知で、船舶の遭難信号のみならず、生活の場でもいろいろと使用されていますが、それまで使用されていた「CQD」に変って「SOS」が遭難信号として最初に発信されたのが、このタイタニック海難です。
この時には、受信する側での聴取体制が十分でなかったために、最も近くにいた船では聞いておらず、救助されるべき多くの人々が冷たい海で命を失ってしまったのです。
この運命のタイタニックの映画が製作され、世界中でヒットしているこの時期に、「SOS」に終えんがおとずれ、「GMDSS」の時代を迎えたのは、偶然とはいえ何か不思議な因縁みたいなものを感じるのは私だけではなく、年配の海事関係者は同じと思います。
過日、海上保安庁音楽隊の演奏会があり、タイタニックの主題歌の演奏のときに、舞台上に無線設備がセットされ、現役海上保安官が(SOS)「…― ― ―…」のモールス信号を打ち、その切れのよい、澄んだ「トトト、ツーツーツー、トトト」という信号音を聞いて、背筋がキーンとなるような感動を覚えました。
目をつぶってこの信号音を聞いていると、海難救助を天職として船に乗っていたころのことがタイムスリップして浮かんできました。
操舵号令「ハードスターボード」と回頭舷の疑問
1912年(明治42年4月)深夜、太西洋上をタイタニックがうすもやの中を20数ノットの全速で航行中、付近の客船からしきりに氷山警報が入電する。
ブリッジのウィングに立って目を皿のようにして前方を凝視する見張員、50数年前のレーダーの無かった時代の寒々としたブリッジの状況が実感としてよみがえる。マストの望楼に立つ見張員は双眼鏡を持っていない。
マスト上の見張員が、前方数百?の至近の位置に黒い影、氷山の一角を視認、すぐにブリッジに通報、一等航海士は機を失せず操舵手に「ハードスターボード」(面舵一杯)を下令、全速後進のエンジンテレグラフを引く。タイタニックは左に回頭しながら右舷外板が氷山と衝突・擦過、外板がさけて浸水を始め、やがて各所で修羅場が、そして悲劇のドラマが現出した。
ここで疑問、問題となるのが「ハードスターボード」という操舵号令である。
現在の操舵号令の「ハードスターボード」は、日本語の操舵号令の「面舵一杯」で船首を急いで゛右"に回す号令である。
タイタニックでは「ハードスターボード」で船首が゛左"に回っていることは、航海士か操舵手のどちらかが間違ったのか。
さては、これが事故の大きな原因か?
いや、当時の英語の号令は現在と逆だったのです。なぜか??