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硫黄島の毒魚?

 ― 大洋で釣った魚には毒がない ― 

舵社顧問 中川 久

 硫黄島

 硫黄島は、北緯25度、台湾の台北の緯度より南で、野島崎の南方約630マイルに位置する火山島であって、海底火山が隆起してできた島といわれる。
 史誌によると1784年、キャップテン・クックの部下ゴアが太平洋探検時に認め、この島を「サルファランド」と命名したと伝えられる。
 その後硫黄島は、長い間無住民、無所属で放置されていたそうだが、明治20年(1887年)東京知事一行がこの列島(火山列島)を巡視し、明治24年(1891年)9月、日本政府は正式にこの列島を日本領土に編入し、北硫黄島、硫黄島、南硫黄島と命名、勅令で小笠原島庁の管轄とした。
 その後硫黄島では、硫黄の採取や砂糖きびの栽培などが行われ、昭和18年(1943年)には住民千余人を数えたそうだが、第2次世界大戦末期に米軍が上陸し、激戦場と化したことで知られている。
 戦後は住民はなく、現在、海上自衛隊航空基地隊が置かれている。

 硫黄島周辺海域の測量調査

 さて、この硫黄島の周辺海域は数10年前の水深データより隆起しているということで、調査を行うことになり、昭和56年6月、当時私が船長だった2,000トン型測量船「昭洋」が担当することになった。6月8日、東京湾を出港した「昭洋」は、6月末までの予定で、期間の前半は沖合の調査、後半は沿岸部の調査を行った。  この海域は、例年6月から10月末までよく台風が通過するので、もし期間中に台風に遭遇したら調査が達成できなくなると心配していたが、幸い、調査期間中全体として好天に恵まれ予定どおり作業は順調に進んだ。

 腹痛に苦しむ

 前半の調査が終了し硫黄島の北側に投錨した翌日の私の日誌を紹介してみよう。(6月19日、西の風5?、晴れ)
 〇三〇〇腹痛のため目が覚めトイレに行った。〇四〇〇、〇五〇〇……とほぼ1時間おきに朝まで数回トイレに通った。
 何が原因で腹痛を起こしたか分からない。ストレスか、消化不良か、それともいろいろな悪条件が重なったものか、それらのいずれかであろう。  朝食抜きで○八○○抜錨、調査を開始した。
 昼食も夕食も抜きで今日の調査は終了、1700硫黄島の北側、水深20?に投錨した。まだ、腹がおかしい。1度ぐっすり寝ることにしよう  一八○○就床。
(6月20日西の風3?、晴れ、雲多い)
 昨夜熱が出たが真夜中には快方に向かった気がした。うとうとと〇六〇〇まで床にいた。合計12時間、随分寝たことになる。
 腹は90%治ったようだ。

 硫黄島に上陸

 〇七三〇測量艇降下、試運転をしたら燃料パイプに漏えい箇所発見、その修理を海上自衛隊硫黄島基地隊に依頼し、合わせて表敬訪問のため船外機付きゴムボートで幹部とともに島に上陸した。
 ここで上陸の模様と島内の状況について概略を述べてみよう。
 硫黄島は比較的砂浜が多く、これといった船着場はない。そこで、双眼鏡で上陸地点を探そうと海岸を見渡したところ、島の北西部に一部砂浜が広いところを発見、そこへ上陸することにした。

西方から見た硫黄島




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