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見学のできる灯台(7)

潮岬灯台

(社)燈光会

 灯台の歴史

 この灯台は、慶応2年(1866年)5月、英、仏、蘭、米の4カ国と締結した条約により建設を約束した観音埼灯台等8灯台の1つで、本州の最南端の灯台です。
 今日、本州南岸を航行する阪神〜京浜間等東西行路の重要な指標です。
 この事業は、明治政府に引き継がれ明治2年4月に起工、翌3年6月に仮灯を灯し、その後明治6年9月に1等反射器18個、石油灯の不動白光で点灯しました。
 この灯塔は、8角形の木造で、わが国最初の洋式木造灯台とされています。
 灯台建設位置は、ほぼ現在のところですが、灯台が建てられる前は御岬神社が祭られていましたので、明治2年に灯台建設のため西隣に遷座されました。
 現在の石造りの灯台は、明治10年5月から翌年4月までの約1ヵ年の工期で改築された2代目です。反射鏡式の照光装置は大正4年9月に第2等フレネル不動レンズに交換、石油蒸発白熱灯の灯器に改められ、電化されたのは昭和3年1月からです。この第2等レンズは、太平洋戦争で被害を受け昭和26年に修理されましたが、昭和32年11月に90?の回転式灯器に変更の際撤去されて、本灯台の資料室に保存展示しています。
 この種の大型レンズは、戦災で破壊されてしまって、その数が少なく歴史的に貴重な資料になっています。
 昭和59年からLBH120型回転式灯器でハロゲン電球(120V1500W)を使用し、光力は130万カンデラ、光達距離19カイリ(約35キロメートル)です。
 灯台では、電波標識(電波の灯台)DGPS、レーマークビーコンおよび船舶気象通報業務等の業務を併せて実施しています。


潮岬灯台

 灯台余話

(1) 文化、文政のころ(1,800年代)から幕末で、潮岬には外国船の来航を監視するための遠見番所があり、日夜3人が詰めていました。また、明治には、海軍望楼が設置されていました。
(2) 潮岬灯台が当初仮灯を点灯したいきさつは、イギリスから灯台機械を運送していた帆船エルレー号が明治2年12月10日、東支那海で沈没したためです。
(3) 灯台長は、明治8年7月までイギリス人で、日本人がその下で技術の修得に努めました。

 灯台へのアクセス

○ 東京・名古屋方面から名古屋駅から 紀勢本線で松阪・新宮経由で串本駅下車(特急4時間45分)バス20分
○ 京都・大阪方面から 紀勢本線で串本駅下車(特急約3時間)灯台までバス20分
○ 大阪市内からマイカー利用 阪和道路〜御坊市からR42号経由で約4時間30分
○ フェリー利用  東京〜那智勝浦〜串本


見学に訪れた人たち




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