燃料用の石炭を積み込んだあと午後3時にシンガポール港を出港。チッタゴン港に向う。ブクン島、サンボー島の大きな石油タンクが見える。やしの木の茂る島々などの間を航行する。炎暑のなかを静かに凪いだマラッカ海峡へ入っていった。
1月15日、昼は静かな油を流したようなおだやかな海であった。夜になって少し風が出てきて海面は少し波立ってきた。マラッカ海峡をすぎてベンガル湾に入り、船は北上航を続ける。今夜も美しい星空が一面にひろがっている。
北斗七星が船首より右舷50度ほどの空に見える。時折いくつかの漁船の灯火が見える。瀬戸内海を航行しているような雰囲気があった。
無線電信にて次航予定の報が入る。チッタゴン港で揚荷が終ったあとインドのカルカッタ港に回航し、スクラップ(屑鉄)を積んで京浜港に帰港の予定だ。まだ先のことだが待ち遠しいことである。
1月20日、昨日午後8時40分チッタゴン港外に着き投錨した。一夜明けてみると晴れた空に薄明の表情が様々に変わっていく。あかね色から日の出前までの彩りにはその妙を感じさせられる。
そのうち東の空から生まれたばかりの真っ赤な太陽が徐々に昇ってくる。船の周りを流れている濁流はかなり速い。港内は船舶が混んでいる様子で港外には5隻の停泊船が見える。
夕刻船室で休んでいると無線通信士のKさんが入ってきて一通の電報を私に手渡してくれた。「一九ヒオトコウマレタオヤコブジ」とあった。長男誕生の知らせである。日本から遠く航程4,000カイリ(約7,400??)は慣れた異国の港外でその報を聞くことになった。海の上に生活する者として予想していたものの今さら感慨を新たにする。今は生まれてきたばかりのわが子と無事出産した妻の健やかなることを願うのみである。多幸を祈ると返電したが、実感がわいてくるのはもっと先のことであろう。
航遠く吾子生れしと無電あり
チッタゴン沖に感ふかく聞く
私はこの15年来「パナマ」「キプロス」の外国置籍船で、日本から東南アジア、中国などへの航路に就航してきた。乗船した船のほとんどが電信符号(モールス符号)の伝達による従来の無線電信で、通信士はフィリピン人だった。最近乗船した近海航路に就航している船で、インマルサット(海事衛星通信)が設備された。とともに無線電信の送信機が陸揚げされた。近いうちに通信士は減員のため下船することになっている。
1982年に太平洋、大西洋、インド洋にインマルサットが本格的に運営されるようになった。陸上通信と同様、テレファックス、テレックス、データー通信が可能となった。
私の長い海上生活での大半は陸上と海上を結ぶ絆は無線電信であった。インマルサットが導入されてなんとか習熟しなければと思って努力しているが、戸惑いながら思うようになじめないのが現在の状況である。
長男の誕生から45年の歳月が流れた。ベンガル湾の一隅で受けた知らせの電報を思い起こすことがある。同時に長い海上生活の間に無線電信にまつわる出来事がかなり重要な部分を占めていることを意識する。
