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無線電信のこと 24

山本 繁夫
岡安 孝男画

 1月8日、南下航するにつれて日1日と暑さが増していく。食堂などで人と会うとどの顔にも航海の疲れが出てきたように見える。機関室の天窓(スカイライト)の上にある帆布製通風筒(ウィンドセール)が垂直に垂れ下がっているのも暑さを感じさせる。
 1回4時間の航海当直に2回立つとカレンダーはめくられていく。きびしい人生の歩みであるはずの1日がなんと単調にすぎていくのだろうかと思ったりする。
 1月11日、航行中一隻の船にも会わない日がある。島も見えずどんよりと曇っていて太陽も見えない。時折スコールがやってくる。こんな日はなんとなく焦燥感がわいてすっきりしない。いろいろと思いめぐらしているうちに人恋しさがつのってくる。
 そんな気持ちのなかで出会った大型タンカー霧島丸(中川海運)の姿であった。シンガポールを前にした本船と、すでにマラッカ海峡を通過した船がこうして遠く異郷の海で出会うと、なんともいわれないなつかしさを感じる。
 たとえ他社の船であってもお互いに無りょうな日々を送っている身には日本船に会っただけで、なんとなく心のつながりの意識が顔を出している。
 船橋や船尾付近から盛んに手を振っている。こちらからも大きく手を振りながらあいさつする。霧島丸の人たちには日本の島影が、山々が大きくクローズアップしていることだろう。互いに海に生きる者としての共感がある。心から安航を祈ろう。
 ボルネオの北岸もようやく離れようとしている。海図机の上にはシンガポール港の見える海図がならべられるようになった。疲れた心の中にはなにかほっとした安ど感がそっとしのびよっていた。
  お互いに海に生きいる共感を
  持ちて盛んに手を振り交わす
 1月13日の午後10時過ぎにシンガポール港外に到着して投錨仮泊した。翌朝9時港内に転錨したあと、さっそく燃料用の石炭積み込みを開始する。双眼鏡で異国の様々な風景を眺めていると、日本から航行してきた距離の遥けさを感じる。
 シンガポールはマレー半島の南端にある都市でインド洋と太平洋をむすぶ交通上の要地である。1824年からイギリスの東洋へ進出する拠点となり自由港として発展した。ほとんど赤道直下にあるが、海風やスコールがあるのでわりあいしのぎやすい。
 多くの外国人が雑居し、中でも華僑が多い。太平洋戦争中は日本に占領されていた。1959年イギリス連邦内の自治国となり、63年9月にマレーシア連邦の1州となったが、人種的、経済的対立から65年に分離してシンガポール共和国として独立した。
 しょうしゃな建物があり、宗教的な建築物がたくさん見える。石炭を積んだはしけの肌色の黒い人たちの腰に巻いている腰布の模様の派手なのが印象的であった。
 岸近くの船溜りにジャンク(中国型帆船)が多く見える。練習船やヨットのほか、帆船を見かけなくなった日本から来たせいもあって粗末な帆で帆走しているジャンクが物珍しい。




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