日本財団 図書館


海難体験発表

   救命衣の大切さ

昆布森漁業協同組合
小野 利一

 私は、昭和45年中学校を卒業と同時に家業の昆布漁業に従事しましたが、母の病気によりやむなく沖合底引き漁船の乗組員になりました。
 3年間の乗船経験資格を得て、昭和49年直ちに海技免許を取得し、20歳で1等航海士を経て船長の職につき北洋海域での漁場経験をしました。
 25歳で沖合底引き漁船を降りて、家族との身近な生活のできる定置網漁の漁船に乗り組みましたが、それまでの10年間に及ぶ北洋漁場の記憶の中で、幾度かの海難事故により多くの知人、友人を失いました。
 私の体験した海難事故は、昭和55年に定置網漁船に乗り組んだときです。台風20号の猛威に直撃された釧路の周辺海域では、避難中の外国漁船が、転覆や乗揚げ海難でたくさんの犠牲者を出しましたが、私たちの漁場も定置網が大破する被害を受け、翌日の台風余波の残る大時化の中、被害状況を見るために漁場に船を出しました。
 北洋の体験で、あの大きな船のマストを越える程の大波を幾度となく経験し、見知っている私にとっても当日の南西の強風が吹き寄せ、砕け散る前浜の磯波の激しさには、まるで牙をむく猛獣の口に手を差し出す程の恐怖心を感じたものです。  作業中の船体は暴れ馬の背に乗っているような状況で、落ちたその瞬間は、ボーンと空中に放りあげられた感じですぐに背中からザブンと海中に投げ込まれておりました。
 必死にもがいて海面に顔を出したとき、目の前にロープがあり、夢中でしがみつきました。
 仲間の手が私の体を船の上に引きずりあげてくれたときしばらく放心状態でしたが、落ち着いてきてから救命衣を着ていなかった自分に改めて恐怖を覚えたものです。
 この年に、女房との出会いがありまして結婚、やがて長女、次女そして次々と4人の可愛い女の子に恵まれました。
 その後も幾度か海中転落事故に遭遇しておりますが、過去の貴重な体験から家族や社会に対する自分の責任の重さに応える意味で、 決して救命衣を体から離しません。今は昆布森漁協の一員として、救難所員や海難防止対策委員会の幹事、また子供たちの通う昆布森中学校のPTA会長の役席をお受けしておりますが、自分のこの体験を語ることにより海難防止の意識の高揚に役立てば幸いと思います。
 愛する家族、郷土の未来のためにも、決して自然をあなどることなく安全の心を大切に育てていきたいと願って、このたびの機会にロべたながらお話させていただきました。

 

 

 

前ページ    目次へ    次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION