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  当然のことながら、事件後の査問委員会で「カリフォルニアン」のスタンレー・ロード船長には救助されたイズメイWSL会長とともに非難の矢が集中する。
 ロード船長の子息ウォルター・ロードが長じて作家となり、不遇な晩年を過ごした父への鎮魂の念をこめて『A Night to Remember』というベストセラーを書くのは43年後(1955年)のことである。
 今か今かと救助船を待つ「タイタニック」の船内は照明がついており、沈没寸前まで明々と灯されていた。これはスミス船長が乗客に暗黒の恐怖を抱かせない配慮から命じたもので、このために船底の第1ボイラー室(燃料炭不充分のため航海中は停めていたと言われている)で機関部の士官がボイラーをたいて発電機を回していたのである。このおかげで沈没の数分前まで船内に照明が灯っていた。これらの士官たちは全員殉職している。


デッキの上のスミス船長(右)とマッケロイ事務長(左)

 サウサンプトンのイースト公園には大きな碑が立っている。このとき殉職した士官の行為を顕彰するもので、1914年4月に建てられた。《1912年4月14日、自己の持ち場に留まり高い義務意識と英雄的行為を示したRMSタイタニック機関部士官の思い出に捧ぐ》という文面の両側に30数人の氏名が刻まれ、その上部にボイラーを操作する制服の士官2人の姿のレリーフが鮮やかである。
 無数の星がきらめく闇夜のもと、船上に残された千数百人の人びとは救助船の到着を今か今かと待った。だが、救命ボートで脱出した700人の人びとが見守るうちに午前2時20分、「タイタニック」は全長268メートルの巨体の船尾を数分間空高く直立させたと思う間もなく3,800メートルの海底に沈んでいった。その瞬間、ボイラーの破裂音、船内の機器や器物の倒壊音が耳をつんざくように聞こえたのち、恐ろしいような静寂が辺りを包んだ。暗い海面には溺れながら声をあげて助けを求める人々の影がおびただしかった。こうして「タイタニック」は氷山衝突から2時間40分後に3,800メートルの海底に沈んだ。
 SOS信号を受けて最初に駆けつけたのは「カーペイシア」(13、603総?、キュナード・ライン)で、ニューヨークから地中海に向けて航海しており、信号を傍受したとき現場から100キロメートル以上も離れていた。同船は前例にないほどボイラーの蒸気圧を上げて急行する
(このとき試運転最大速力正15ノットを上回る17ノットを出した)が、翌朝3時30分に姿を現したときは「タイタニック」が沈没して1時間10分たっており、現場には多くの救命ボートが漂い、低温の海に投げ出された人びとは白い救命胴衣を付けたまま死んでおり、遺体があちこちに浮かぶという凄惨な情景であった。
 それにしても、「タイタニック」の(不沈信仰)が就航前から行きわたっていたこと、当時はラウドスピーカーがなく船員が船室ごとに避難勧告を告げて廻ったことで、事態の深刻さが多くの船客に納得されず、多くの船客が救命ボートヘの移乗を遅疑したばかりに多くのボートが定員を満たせぬまま降下され離れていった。いったん本船から離れた救命ボートは少ない例外のほかは、スペースが空いていても海中で救助を求める人々を助けに戻ろうとはしなかった。そうすれば芥川龍之介の『蜘蛛の糸』になることを恐れたからである。
 ある本の著者は、事故発生後のスミス船長の指揮要領が〈砒(まなじり)を決した〉ものでなく〈普段と変わらぬもの=Business as Usual〉であったことが反って乗客心理から緊急感を消してしまったと言っている。
  こうして落とさなくてもよい相当数の人命が失われてしまった。人命の尊さに区別のある理由はないが、救助率が下等船客になるほど低くなっているのは考えさせられる。「タイタニック」の乗船者と救助された人の数は次のようになっている。((財)海事産業研究所客員研究員長塚誠治氏作成資料を参考、カッコ内は救助された人数。)
 4月15日朝、「タイタニック」が没した水域には2つの頂きを持つ灰色の大氷山が漂っていた。高さ20メートルをこえるこの氷山の基部の氷面には赤いペンキが付着していたという。


事件を報じるニューヨーク・タイムス(1912.4.16)

あとがきに替えて

=「タイタニック」事件の考察

「タイタニック」事件を調べれば調べるほど想像がたくましくされて考えさせられることが多い。ただ、このような古い出来事を考えるとき注意せねばならぬのは、現代の社会意識や技術水準で評してはならぬということである。技術は日進月歩であるし、それを扱う人間の意識も自然と変わってくる。だから、現代の社会意識や私たちの判断だけで軽々に評すれば(後知恵hindshight)のそしりを免れない。
 当時の技術水準やこれに関わる人びとの意識を出来るだけ理解したうえで考察すべきであろう。
 事故が起こるときには1つの原因だけでなく、複数の要因が重なっていることに気づく。歴史に(もし)は無いが、「タイタニック」事件を見ると余りにも多くの(もし)にほう着してしまう。次に列挙する(もし)が1つでも欠けておれば航洋客船としては平時最大の犠牲者を出したこの事件は避けられたかもしれない。

 

 

 

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