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名船「タイタニック」

 この巨船建造に関するWSLの基本方針は(経済性〉をベースにした大型豪華船を造ることでキュナードやドイツの船会社に対抗しょうというものだった。また大型船であるからには旅客が一切の海上危険にさらされないほどの安全性を考えた設計にした。
 この方針が成功して、1911年「オリンピック」が就航すると直ちに世間の耳目を引きつけたのち、1年後の大事故で再び世界中の話題になるという皮肉な結果を生むことになる。
 救命ボート数は原案では60隻であったが、WSLトップの反対で最終的にカンバス折りたたみ式ボート4隻を含めて20隻(収容定員1、178名)になった。ただこの隻数でも当時のイギリス商務省規定によるならば「タイタニック」(船客、乗組員定員合計3、503名)は962名分のボートで充分であったと記されている。
 当時のイギリス商務省規定はその20年前に1万総?の船を基準にして制定されてから変わっていなかったから「タイタニック」事件で救命ボートの数が問題にされるのだが、当時の考えは?事故があれば無線で知った近くの船が救助に駆けつけるだろう?救命ボートの降下操作は容易でなく、船客には救命胴衣を十分に用意しておくのが順当だ、との意識があったらしい。これを裏づけるかのように「タイタニック」には3、560名分の救命胴衣が用意されていた。
 WSLは経済性を最重要視していたが、主機関の選定にもこれが現れている。WSLは在来のレシプロ・エンジン(3段膨脹往復動蒸気機関)を主機関に採用した。与えられた条件下ではレシプロよりもタービンのほうが高出力が出せるだけでなく、船体重量とスペース節約できることを知りながら、あえてレシプロを選んだのは経済性(燃料消費)への配慮とハーランド&ウルフ造船所に本格的タービン機関を造る態勢が整っていなかったことによる。
 原案では3段膨脹レシプロ機関2基2軸であったが、パーソンズの低圧タービンを購入してレシプロ2軸(最大出力3万馬力)、タービンー軸(最大出力1万6千馬力)の3軸船となる。船体の中心線上にスクリュー(低圧タービン駆動)を通したことで舵型が(平衡舵でなく)不平衡舵となり、「タイタニック」の衝突事故後に舵面積不足が事故の一因という論議も生じている。
 「タイタニック」の船体構造に触れよう。この巨船のサイズは長さ(垂線間長)259メートル、幅28メートル(「モーレタニア」クラスは241メートル、27メートル)で世界最大であった。船体は16の水密区画に分かれており、4区画まで浸水しても浮力保持が可能とされていた。本船の船体構造は2重底とあいまって、当時の水準を超えた安全配慮がなされていた訳で、現代のセンスであれこれと批評するのはハインドサイト(hind‐sight=後知恵))になるのであるまいか。
 建造は順調に進み、1911年5月31日の進水を迎える。当日は晴天、薫風がガントリー・クレーンから吊された星条旗、WSL社旗、ユニオン・ジャックをひらめかせていた。12時13分、紅色の信号弾が打ち上げられると全長郷村の船体は音もなく滑りラガン河に浮かんだ。
 造船所や河岸に居ならぶ10万人の観衆は水しぶきもあげず優雅に誕生する「タイタニック」の姿を見て一様に感嘆ともため息ともつかぬ声をあげた。「タイタニック」が世界最大客船の2番手として艤装中の1911年9月、思いがけない事故が起こる。
 1番船「オリンピック」がワイト島沖でイギリス巡洋艦「ホーク」に衝突されて右舷船尾に大破口ができる。このとき2区画に浸水したが沈むことなく母港に帰港した。この事件が「タイタニック」の運命に関わることになる。WSLは「オリンピック」を最優先で修理するように命ずる。「タイタニック」建造に従事していた工員多数が「オリンピック」修理に転用されたため「タイタニック」の完成が20日間遅れてしまった。
 最初は3月20日が「タイタニック」処女航海出帆日と発表されていたが、4月10日に延期せざるを得なくなってしまう。また「オリンピック」が2区画に浸水しても沈まなかったことが「タイタニック」のく(不沈船)のイメージをますます強く人々に植えつけた。
 「タイタニック」は1912年3月31日に完成、4月2日試運転、同日WSLに正式に引き渡された。
 なおトライアルで実施した急停止距離(20ノット航行時)は約765メートル最高速力は23.25ノットを記録したとの23.25ことこうして「タイタニック」は夜のセント・ジョージ海峡を南下、翌3日夜半にサウサンプトンのホワイトスター岸壁に係留された。あとは7日後の鹿島立ちを待つばかりだった。


進水する「タイタニック」

 

 

 

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