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沼田 胃が痛くなりますね。

岡本 沼田さんはそのようなプレッシャーの中できちんとお撮りになるのはすごいですね。

沼田 趣味で撮るのと頼まれて撮りに行くのとでは違いますが。でもきれいな沖縄ですから、いとしいと思いながらたくさんシャッターを切ればいい写真が撮れると思います。

岡本 今までのやり方ですと魚をみな捕ってしまうだけなのです。沖縄では漁師のことを海人(うみんちゅ)というのです。海人というのは潜って魚を突くのが誇りです。私が潜りにいきますと海人がガイドしてくれるのですが、魚はみな逃げてしまうのです。海人はそれが誇りで「あいつは俺の顔を知っているのでみな逃げるのだ」といいます。
 私は魚の写真を撮りにいくのに、こういう人の後をついていくことになるので、魚が逃げる……(笑)。 
 今度、潜って写真を撮りに沖縄へ行ったりとき「魚をもっと大切にしたらどうですか=食うだけでなくて=その方が観光客を呼びますよ」という話を漁協の人たちにしようと思っています。漁協がダイビングの観光業を行えばよいと思います。ほかの島ではそのようなことをやっています。


戦跡に生と死を想う


沼田 小笠原振興開発審議会の視察でこの6月10日に小笠原の父島へ行ってきました。船だと向こうまで25時間半かかりますし、3日現地に泊まって同じ船で帰るのでどうしても1週間かかるとのことです。私は硫黄島中継で飛行機とヘリコプターを乗り継いで行きました。
 私は潜りませんし、海中写真も撮らないのですが、空から見た海の色はきれいですし、海中散歩というのができるそうですね。標識があって歩いて行けるんだそうです。
 硫黄島では栗林中将の司令部のあった壕に入りました。いたるところに生々しい戦争の跡が感じられましたし、壕の中は大変な熱気で、いかに過酷な戦いだったかを物語っていました。
 しかし海をみると海はとどまっていませんから、すべてを浄化するのでしょうか、悲惨さを思い出しにくくしています。戦争当時の硫黄島の海はなくなっています。

岡本 海は人間の愚かさを浄化するのですかね。特に硫黄島は残酷な戦争で、ほとんどは徴兵で送られてきた兵隊で、攻めてきたアメリカの兵士だって普通の市民たちでした。島民は退去させられました。普通の市民の兵隊だけしかいない島へ同じような兵隊があがってきて戦いをした。この島にはいわば戦争の残酷さのエッセンスがあります。今、それを包み込んでいる海をみると、私は粛然とします。特に摺鉢山から海を見ますとね。

沼田 そうですね。摺針山は砲弾で変形したままなのに、海は昔のままの変わらないきれいな海ですね。

岡本 硫黄島の海岸に立ったり、沖縄県南部の摩文仁の丘とか戦跡地帯と呼んでいる海岸に立ちますと、目の前には、きれいだなー、潜りたいなー、すばらしい世界だなーと、中で魚が乱舞している珊瑚礁の海の世界があるわけですが、実はそこは追いつめられて死の淵に立った兵士たちが押し出されて全滅した海なのです。
 私の生と兵士の死を認識の上にダブらそうとしましても、まったく重ならない自分のあさはかさというか、思いの足りなさというか、その時の情景を心の中に持つことはできないのだと思うのです。
 何が言いたいかといいますと、海の普遍さとか安定さとか自然の広大さということに対して、人間の営みというものがいかにばかなこともやり、残酷なこともやり、平和なときもある。私は特に沖縄の海に立つと人間の性(さが)の複雑さを思うのです。

 

 

 

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