ずいひつ
(20)
北洋就航(2)
山本 繁夫
岡安 孝男画
6月14日、午前7時40分ごろ、母船の近くに漂泊していた第7佐津丸(約500総トン)という冷凍運搬船が、本船に近づいてきた。船橋の後部付近から乗組員の1人が大きく手を振りながら、母船の近くに寄れと合図をしてきた。
午前8時ごろ前進を開始し、9時40分ごろまで東に航走して漂泊に移った。そのころから海が荒れてきて波浪が高くなりうねりも出てきた。11時半ごろ昼食の用意にテーブルを並べていた食器がすべり落ちるという揺れのはげしさであった。
漂泊にたえられないので、機関を半速前進にして船首を風浪に立てながら避航をはじめた。低気圧が日本海にあったときは1,000ヘクトパスカルだったが、北東進して低気圧の墓場といわれるこの付近に達したときは、異常に発達して972ヘクトパスカルになっていた。
低気圧の通過後、南西の風浪がはげしくなり、うねりも大きく船はまったく波浪にあそばれているという状態であった。母船の大津丸からも荒天には十分注意して避航するようにとの通達があった。

本船と同じように母船に随伴している仲積船東宮丸(997総?)も時化の中を波浪に船首を立てながら避航している。後日母船から聞いた話しによれば、大津丸船団が5月15日函館港を出港して、はじめて遭遇したはげしい荒天であったという。時化のため船団に所属している33隻の独航船が、操業を休止して避航したのは漁場にきてはじめてのことだ。
海荒れて縦横動のしきりなる なかに
避航の1日昏るる
6月15日、北太平洋では午前1時過ぎはもう明るい。朝になると気圧は995ヘクトパスカルまで上がったが、風向は南西で依然として風力は衰えず、波浪やうねりはなかなかおさまらない。
午前4時ごろ第7佐津丸が近づいてきて、お尻をたたくようなゼスチャーを示した。
漂泊しているうちに母船から少し離れすぎたので、さっそく前進して東の方向に見える母船に向かった。
東京港の品川岸壁で近くに第7佐津丸が停泊しており、大津丸船団へ仲積みに就航するというので、訪船していろいろと状況を聞いた。航海の話になってロランも方向探知機もないのに、どうして霧の多い北洋で船位を出すのかといわれた。太陽の姿はほとんど見ることもなく、天測などとんでもないと一笑に付された。
母船に近づくと仲積船東宮丸も同じ方向に航走していた、水揚接舷の順番を待っている独航船が3隻ほど漂泊していた。5時50分ごろより漂泊に移る。
午前9時ごろまだ風浪のかなりある中を母船から大発艇に乗って3人が来船した。無線室へ連絡呼出用のセレコーダーを取りつけ、書類、託送品の一部を持ち帰った。セレコーダーの取りつけにきた日本無線の人も独航船の機器の修理に追われているという。持って帰った託送品の中に、郵便物の入ったキャンバスの袋があった。5月15日函館港を出港して1ヶ月あまりになる。船内生活のストレスがいろいろな形であらわれていることだろう。
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