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そういえば別宮さんは師ミヨーとその友人たるオネガーの間に座って聴いた演奏会のことを話されたことがあるが、別宮さんはミヨーよりもオネガーに近いのかもしれない。そのオネガーはたとえば大戦中オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」を作曲してドイツ占領軍から舞台上演禁止になったり、その生き方に於てフランスの人々の共感を得、スイス人であるにもかかわらず「我等のアルチュール」と呼ばれて支持されたという。一方、別宮さんの正義感と勇気は、戦後の音楽興隆期に起きた数々の問題に疑問を呈さざるを得ず、持ち前の徹底性から、時流におもねず、損得を度外視して発言をされたことを忘れることは出来ない。

思い出すことは、私が芸術大学受験生の頃、池内友次郎先生のお宅でレッスンを受けていた時のことである。そこへ突然「只今帰りました」と大きな声がして庭先から別宮さんが入って来られた。長年にわたるフランス留学から帰って来られたのである。池内先生は私に「一寸待っててくれ」と言われお二人は隣室のテーブルに座って、大声で話をされた。そして「貴方、芸大で教えませんか」と池内先生が言われたのに対し別宮さんは即座に「いやです、私は今猛烈に作曲したいんです」と一言で断わられた。

別宮さんは何時でもこうして真正面から素直に言われる。婉曲な話法などは全くなく、わからないものは、わからないと明快である。

別宮さんはデカダンスとは縁もゆかりもない作曲家である。デカダンスとは意志の放棄にはじまり、理性より感性や本能を重視することによって起こるから、理性と意志の人である別宮さんとはかかわりない。しかし別宮さんに感情がないのでなく、感傷がないだけであり、別宮さんの周囲には、いつも爽やかな風が吹いている。フランスに学んだにもかかわらず印象派とも遠い。印象派とは結局のところ節度あるデカダンスであり線や形より光や微妙な色彩を重んずる。第一次大戦を逃避せず、これと向かいあった晩年のドヴィッシーは印象派の耽美を捨て、三つのソナタの表紙には敢然としてMusicien Francais/フランスの音楽家ドヴィッシーと書く。現実に理性的に、しかも責任をもって逃避しないで向きあうと人は印象主義にとどまることはない。そういう意味で別宮さんは印象派とは遠いのである。

当然のことながら「牧神の午後」のようなインモラルな怠堕な快楽や倦怠感ほど別宮さんは無縁である。別官さんは作曲家としてもモラーリッシュであり必然的に形式を重んずることになる。

このような人が作曲家として、この時代の日本に生きたらどうなるか、どういう作品を書くのか?

つまり、それが別宮作品なのだが、、今回のチェロ協奏曲を別宮さん自身は自分の集大成といわれる。今夜我々は別官さんの全人格か鳴り響くのを聴くことが出来るのである。

また、別宮さんはこの曲を「秋」と名づけ自分の人生の秋ともいわれているが、秋は終わりでなく、秋こそは実りの時、豊饒の季節なのである。

別官さんの創造が円熟に達した今、この秋が少しでも長く続き更に多くの貴重な果実をもたらすようにと願っている。

 

 

 

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