すなわち、シェーンベルクは言った。「今日、音楽表現を調性によって行わなければならないという何等の美学的理由はない」
当時は挑戦的でさえあったこの宣言も今日ではその勇ましさがなつかしい。今日芸術大学などの作曲科の学生のほとんどは音楽経験も少ないにもかかわらず無調的な現代的とされる作品を進級や卒業に際して提出する。調性の作品を提出することは不利を覚悟せざるを得ないという。何故そうなっているのかという根源的な問いは発せられることは教師の側からも学生の側からもまずない。もしどちらかから問われたとしても、答は「現代だから」で片付けられることであろう。「調性音楽は現代にふさわしくない」と短略する人の頭の中には恐らく音楽史の進歩史観が根を張っているに違いない。
「中世ポリフォニー音楽、ルネサンス音楽、バロック音楽、古典派、ロマン派、国民楽派、印象派そして……」という発展の図式は、何やら、「原始共産制、奴隷制、封建制、資本主義…」という唯物史観と似ている。
今日、進歩の終焉が説かれ、歴史主義の批判がなされて、価値の多様化が叫ばれていても、その波は作曲界には及んでいないかのようだ。
だから、あのワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の和音が調性破壊の先駆となり、それが無調音楽への道を拓き、シェーンベルク等の12音音楽となり、やがてミュージック・セリエルとなり、その反動としてのミニマル・ミュージックやパンムジーク、ひいてはネオロマンに……という図式が神々の系図のように語られ、正統性を保障する錦の御旗となる。
そういう作曲界において「C短調」などと語るのはかつてのシェーンベルクの発言と同じくらいの勇気が要ることである。シェーンベルク風にいえば「今日、音楽表現を無調性のみによって行わなければならない何等の美学的理由はない」。
要するにこれは調性であれ、無調性であれ権威や教条(ドグマ)と戦っているのであるし、表現はすべて自由でなければならないということを勇気を以って主張しているのである。しかし何時の世でも勇気を持つ人は少なく「皆で渡ればこわくない」派は多い。
音楽史を開くと、ベートーヴェンの第九交響曲が初演された1823年の前年にはロマン派オペラ、ウェーバーの「魔弾の射手」はすでにベルリンで初演されていたし、そしてウィーンでは7年前ローマで初演されたロッシーニの「セヴィラの理髪師」が大流行し、革新の時代は終わったという太平ムードが謳歌され、あのシーリアスなドラスチックな時代の旗手だったベートーヴェンは、時代の波にとり残されていた。その風潮の中で断呼として節を貫くベートーヴェンはまさに軽薄短小礼讃時代中での巨人であった。
またあの大バッハことヨハン・セバスティアン・バッハにしてもバロック音楽がすでに終り、宮廷も、華奢なロココ趣味に近づいていた中で敬遠されつつも断呼として旺盛な創作を続け、息子達に「その新音楽とやらを聴きにゆこうか」とまでいっていたという。
三島由紀夫は評論集「美の襲撃」の中で「堂々と古くなる覚悟」を説き、新奇に惑うことなく堂々と自身の作風を完成させることを提唱しているが、そうだとすればバッハもベートーヴェンもまさにその模範といえよう。つまり、ある高みに達したもの時代を超えた別格となるのである。
私が今こういうことを書いているのは、「我等の別宮さん」を持ち上げているのではない。別宮さんはそういうことを好まない人である。要するに音楽はみなその表現内容にふさわしい衣裳をまとっているのであって、衣裳の新旧は音楽の優劣ではないことを云っているのである。ストラヴィンスキーの「春の祭典」後に作曲されたラフマニノフの交響曲も今日、名曲として存在していることもそうであり、例は枚挙にいとまがない。
別宮さんのフランスでの師ダリウス・ミヨーが別宮さんに言った「音楽に古い新しいはない。よい音楽と悪い音楽があるだけだ」という言葉はまさにそのことをいっているのであろう。「各時代は神に直結する」といった歴史家ランケ風にいえば、「各作品はそれぞれ神に直結している」のだ。