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そうして作曲生活40年余り、75才、今回のチェロ協奏曲は、私の仕事の総決算をしめすものになるだろうが。私の"うた"が明確な形をつくることによって、その抒情が説得力を持つに到っているかどうか、そしてそれが私独自のものときかれるかどうか。

私は自分の特殊性を打ち出すために、手段として民族的要素をきわだてて用いたりするより、西洋音楽に魅せられた自分を素直に表現した方がよいと考えて仕事をしてきた。しかし私もやはり日本人なのであろう。西洋近代の方法をそっくり受け入れたりしてきたわけではない。それでは自分の"うた"を歌えなかったからである。

この私と西洋近代との関係がどう処理されているか。それはまず作品それ自体をきいて感知していただきたいことだが、一言技術的な説明も或いはご参考になるかもしれない。

"うた"にとってディアトニック音階は欠くべからざるものと私は思う。しかし長短調に限られない。西洋近代音楽では、堅固な構造を作るために、和声的見地からそれが支配的になった。ところが私の"うた"は長短調を逸脱しがちである。従って通常の和声的手段を用い難い。それでもなお何とかして堅固なポリフォニー音楽を作る。それが私の一生の目標であった。ちなみに今回の作品、第1楽章はまあC短調と云えようが、第2楽章はDのフリギア調であろうか。(第1楽章と第2楽章はカデンツァでつなげられる)

題名の「秋」は第3交響曲「春」第4交響曲「夏1945年」につながる。そして私の人生の「秋」の"うた"であり、又私事にわたるが、臥床4年になる病妻明子の名にもかかわる。

 

[追記:妻明子は、3月8日逝去。]

 

別宮貞雄さんとチェロ協奏曲のこと

 

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廣瀬 量平

 

この曲の冒頭フルートとオーボエがハープを背影にし、弱音ながらたしかなリズムをきざみはじめる瞬間を思わずにはいられない。

間もなく独奏チェロが高音部のテノールの音域で痛切に歌いはじめるが、それは決しておそくはない。それどころか感傷を出来るだけ取り払った簡潔で、高潔な悲歌はアレグロなのだ。正確にはアレグロ・モデラート。

これはまさに「走る悲しみ」(Tristesse allante)ではないか。これは小林秀雄がその著「モオツァルト」の中でアンリ、ゲオンの言葉として書いているものだ。「……悲しさは疾走する、涙は追いつけない。……空の青さや海のにおいの様に、万葉の歌人が、その使用法をよく知っていた「かなし」のように……彼はあせってもいないし、急いでもいない。彼の足どりは正確で健康である。」これはまさにこのまま別宮さんのチェロ協奏曲のことではないか。

この曲の格調高さについてつけ加えるならば、それはまるでユーリピデスによるギリシャ悲劇の中の朗唱のようでもある。と書いてはいるが実は、私はまだ曲を耳にしてはいない。しかし手許にある手書きのスコアのコピーからさえそれは伝わってくるのだ。そしてもうひとつ私の予感をいえば、この曲が1998年7月の東京で鳴り響くということは、もしかすると何かの象徴なのではないか。それが何の象徴か、予兆かはわからないが……。

ところで作曲者は自らの文の中で「第一楽章はC短調、第二楽章はDのフリギヤ調であろうか」などと事も無げに、というより堂々と書いておられる。

勿論、調性といっても教科書的な調性音楽ではなく、ここには極めて独創的な工夫がなされての上のことではあるが、このように言うことは今日大きな勇気が要ることである。しかし、これはかつて12音音楽のパイオニアであるアーノルド・シェーンベルクのあの言葉を思い出される。

 

 

 

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