<別宮貞雄プロフィール>
1922年東京生れ。旧制第一高等学校をへて、東京大学理学部物理学科、同文学部美術学科を卒業。少年時から洋楽に親しみ、大学在学中趣味として池内友次郎に音楽理論を学び、毎日音楽コンクール作曲部門で、'46年第2位、'47年第2位、'48年第1位入賞。作曲たらんとの思いたちがたく、'51年渡佛、パリ音楽院作曲科に入学、ダリウス・ミヨー、オリヴィエ・メシアンに師事。'54年帰国、翌年室内楽作品発表会を開いたのをはじめとして、作曲活動をつづけた。かたわら教育活動をも行った。桐朋学園音楽科の設立に参劃し、同大作曲科教授、'73年中央大学文学部教授に転じてからも、そこで講師を続けた。又作曲科の社会集団、日本現代音楽協会の委員長を永年つとめた。
主要作品「管弦楽のための二つの祈り」('56、尾高賞、毎日音楽賞)「ヴィオラ協奏曲」('71尾高賞)「ヴァイオリン協奏曲」('69)、「ピアノ協奏曲」('81)、「第3交響曲“春”」('84)、「第4交響曲“夏”1945」('91)、オペラ「三人の女達の物語」('64)「有間皇子」('67)、「葵上」('76)、歌曲集「淡彩抄」('48)「智恵子抄」('83)
チェロ協奏曲「秋」について
Cello Concerto 「Autumun」
別宮貞雄
音楽の根本が"うた"であることは、東西を通じて、その発生をみても明らかであるし、古今を通じても変るべからざることであると、私は信じている。西欧で中世に芽生え、近代に大きく発展した、ポリフォニー音楽は、たしかに人間の別の精神活動の発現の面をもってはいるが、それも人間の本能的な"うた"(そして"おどり")への欲求を大元で満たし、いわば知情意を総合することで、すばらしい芸術世界をきずきあげることが出来たのではなかろうか。
ところがこの音楽の根本が忘れられかけた、そのことが20世紀後半の現代音楽の世界に荒廃をもたらした。何故か。作曲家の科学に対する劣等感のあらわれだと私は思うのだが、知的理論的に音楽を組みたてることが流行した。
私は幸いその悪風には毒されなかった。若い頃大学では理論物理学を専攻したりしたので、前衛音楽理論なんか幼稚に思われ、転じて作曲を一生の仕事と志してからは、そんなものにはかえって反発を感じて、音楽の根本の"うた"にこだわった。
しかしもともと私が、「うた好き」であったこともたしかである。「カラオケ」でうたったりする趣味とは全く無縁ではあるのだが、こどもの頃から始終鼻歌をうなるくせがあった。それも既成の歌曲でなく、勝手な即興で。母親からみっともないからやめなさいとよく云われたものである。(これが私の原始的な作曲本能のあらわれなのだろう)
だからやがてベートーヴェンの交響曲に魅せられて、その見事な構築ぶりを賛嘆しても一方シューベルトの"冬の旅"を愛した。
作曲家のはしくれになってからも、大構成器楽を書くかたわら、歌曲を書き続けてきた。器楽的な構成も、"うた"をより強力にし、高く大きくはばたかせるためのものであるとさえ考えている。