大村市は1000年の歴史を持つ城下町であり、城主がキリシタン大名であった事から、4人の天正少年使節をローマへ送り、ローマ法王と謁見したと言う事は歴史的にも有名です。
その時代と同じ頃、大村に捕鯨の基地が有り、その網元で深沢義太夫と言う人物がおり、捕鯨で得た財産をすべて大村藩のために使い、自らは生涯質素な生活を送り、その一生を終えたそうです。
おおむらくじら太鼓は、深沢義太夫の遺徳をたたえると共に、その当時の勇壮な鯨取りの様を太鼓の響きに変え、400年の歴史を越えて現在に誕生しました。
12] 川筋太鼓保存会(かわすじだいこほぞんかい) 福岡県(県連代表) 演奏曲 桶胴太鼓(おけどうだいこ)・新川筋(しんかわすじ)
川筋太鼓は昭和37年、筑豊の炭坑が次々に閉山して行く様をみながら、消え行く炭坑とそこに100年に渡り炭坑の事故により亡くなった犠牲者を思い、何とか慰霊碑を建てて弔いたいと、現在穂波町在住中垣屋造氏によって太鼓で慰霊碑の資金作りをしようと始められたのがこの筑豊一代川筋太鼓の由来でございます。
中垣屋造氏とその家族によって打ち継がれてきました川筋太鼓を、平成3年12月穂波町の有志により川筋太鼓保存会として結成、現在穂波町の郷土芸能、また文化連合会の一団体として活躍しております。
慰霊碑は現在穂波町平垣工業団地内の山の神に祭られています。