田中 嘉幸(たなか よしゆき)(昭3.6.19生・兵庫県神戸市)
40年間にわたり、知的障害があるために就労できず親族の保護も受けられない障害者を自宅に引き取り、親身な世話を続けるなど「人」のために尽くし、障害者の福祉に貢献された。
1] 昭和33年知的障害のため、親族がありながら面倒を見る人のいない三重県出身の男性(当時17歳)を、知人から頼まれて引き取った。男性には作業能力がほとんどないため自営の木工所で清掃程度の仕事を与え、自宅で寝食をともにし、洗濯、食事など身の回りの世話をいっさい引き受け、障害があるために起こる数々の出来事にも対処し、世話を続けた。また、長期間続いた夜尿症の世話や盗癖があるため、男性が会社内や近所で起こしたトラブルを謝罪してまわるなどの努力を重ねた。
2] 昭和40年会社関係の職人からの依頼で、岐阜県出身で知的に障害のある女性(当時37歳)を雇い入れた。しかし、それまで世話を続けていた男性と同様に、読み書きをはじめ1桁の加算もできないため木工所での就労は難しく、かろうじて夫人の指示のもと自宅の家事手伝いをさせながら寝食をともにし、家族同様の生活を送りながら世話を続けた。
3] 昭和48年自営の木工所を閉業、アパート業を開始した。これにより、男性の就労場所が無くなったため、知人の建設会社に就職を依頼し雑役手として働いたが、盗癖による事件が数回重なり解雇された。その後も清掃業、造園業の手伝いなど転々と就職と解雇を繰り返す間も、家族同様に愛情を注ぎ生活をともにしながら、根気よく就労の場を探し世話を続け、同62年福祉事務所の紹介で男性は、障害者小規模通所訓練施設「みくら共同作業所」に通所を始めた。以後も作業所に通う男性の弁当を毎日用意するなど、物心両面から二人の面倒を見た。
4] 平成10年には氏、夫人とも高齢の上に、阪神・淡路大震災で被災し、心労も重なったことから体調を崩した。そして、自分たち亡きあとの二人の行く末を案じ、この男女の施設入所を希望して、女性は養護老人ホームに、男性は精神薄弱者更生施設へと入所が決まるが、入所の日も体調のすぐれない体をおして施設まで付き添って行き、施設長に男性のことを託すなど最後まで面倒を見た。
(神戸市推薦)