祇園 明治(ぎおん めいじ)(明43.2.10生・岡山県岡山市)
岡山市において多年にわたり尺八、三味線の研鑽を重ねるとともに、民謡の普及振興に努めて後進を育成し、新たな民謡の作詞、作曲をも手がけるなど、岡山県民謡界の振興に貢献された。
1] 昭和元年16歳の時に琴古流尺八を学びはじめて20歳で師範となり、20台の後半からは三味線の研鑽を積みながら、民謡の指導を始めた。同40年4月民謡明泉会を組織して会長となり、2ヶ所の教室で指導、以来後進の育成と岡山県の民謡振興に努め、いまも北部20、南部16の教室で四百数十名の生徒の指導にあたっている。
2] 昭和52年、岡山県における民謡の振興には各社中の単独の活動だけでなく相互の交流と研鑽が必要であるとして、当時登録されていた県内10社中に加盟を呼びかけて岡山県連合民謡会を結成し、会長になった。
以来毎年春に岡山県連合民謡祭を開催して、県内の民謡愛好家には一大フェスティバルとして定着するまでになり、各社中の特色ある演目や歌唱法、演出など、バラエティに富んだ内容の舞台は、毎回多くの観衆から好評を博している。
平成10年6月には22回目の連合民謡祭を岡山市で開催し、地元岡山市をはじめ笠岡市、倉敷市など10社中から約200名が参加、日頃の研鑽の成果を披露した。
3] 民謡の指導に傾注する一方、新たな民謡の作詞・作曲も手がけ、昭和50年吉井川筏唄、備前炭焼唄、同52年岡山甚句、瀬戸の舟唄、備前福岡小唄、55年久世早川ばやし、56年お鮮さま、などを作詞作曲し、このうち吉井川筏唄、岡山甚句はレコーディングされている。
民謡一筋に精進して多くの後進の育成に尽力するとともに、岡山県の民謡界をまとめ中核としてリードしてきた氏の功績は大きい。
(岡山県教育委員会推薦)