日本財団 図書館


065-1.gif

 

吉田 精孝(よしだ きよたか)(昭2.9.20生・宮崎県延岡市)

延岡市において、多年にわたり医師としての専門的な立場からスポーツを通じ青少年の健康増進と精神衛生の向上に傾注し、特に野球の普及強化に努めて、地域スポーツの振興発展に貢献された。

1] 昭和34年6月延岡市で病院を開設、以来、地域住民の診療、健康管理、保健衛生の向上に努める一方スポーツに傾注し、特に野球を通じて青少年の育成と宮崎県北地域の野球の普及強化に尽力している。同36年病院の野球部を発足させ自ら監督兼選手として先頭に立ち、選手の体力の鍛錬と技術向上、強靱な精神力養成を指導し、宮崎県下はもとより九州、全国レベルの軟式野球大会に常時出場する実力をつけ、全国大会出場11回、軟式野球連盟九州大会には出場5回うち準優勝2回の輝かしい実績を残している。また、同37年以来、延岡軟式野球連盟の理事、副会長、会長を務め、53年から63年の間は延岡野球審判協会会長として活躍した。

2] 昭和46年4月土々呂地区体育協会が設立され、会長としてリーダーシップを発揮して地域住民の体位向上と健康増進、さらには技術の向上を図るため野球、ソフトボール、バレーボール、ミニバレー等を中心に各種の大会を年間10数回催したことにより、延岡市内各地区の人々の認識するところとなり、同51年10月には全国社会体育優良団体として文部大臣表彰を受けた。

同63年から地区内の少年野球チームが鍛錬のため、駅伝チームをつくって少年駅伝大会として実施することとなり、以来、氏は大会前日にはチビッコ選手約120名の健康診査をほとんど奉仕に近い状態で実施、事故者もなく推移してきており、少年たちの健康とスポーツの振興に寄与している。

3] 平成元年以来、高校野球発展のために、宮崎県北地域高校野球育ての親・故大屋寿太郎氏の志を継ぎ、定期的な交流試合を行って、県北の高校野球のレベルアップと技術修練の場を提供し、宮崎県代表として3年、6年には延岡学園高校、4年には延岡工業高校が甲子園出場の夢を果たすのに大きく貢献した。また、同元年から宮崎県軟式野球連盟の副会長として野球の発展に尽くしている。

4] 昭和50年巨額を投じて球場を建設、以来、年間を通じて無料で開放し地区のレクリエーション、少年野球大会、一般の軟式野球の各種大会等に利用され、地域住民の社会体育の発展に大きな役割を果たしている。

(日本医師会推薦)

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION