西川 芳神(にしかわ ほうしん)(大13.1.13生・東京都あきる野市)
カヌー競技の選手、審判員として活躍し多年にわたり後進の育成に努めるとともに、地域スポーツとしてのゲートボールの普及と組織化を積極的に推進するなど、スポーツの振興に貢献された。
1] 住職として仏門に身を置く傍ら、多年、スポーツの普及振興に尽力している。
大学在学中はカヌー部の監督・競技者として全日本カヌー競技大会においては母校を初優勝に導くなど、学生時代からスポーツに力を注ぎ、卒業後もカヌー選手の強化を図るなど後進の育成に努めた。昭和38年国際カヌー連盟の国際審判委員試験に日本人としては初めて合格し、翌39年の東京オリンピックでは組織委員となり、カヌー競技事務長として大会の成功に寄与した。
特に、相模湖で行われたカヌーの決勝レースにおいて審判委員長として示した審判技術、沈着冷静な判断、公平な態度が高く評価され、国際カヌー連盟会長から「審判技術功労賞」を受けた。
2] 昭和22年から5年間小・中学校教員として児童の育成に努め、特にスポーツ教育に傾注し、中学を卒業して青年団に入った者の指導を続けて、青森の東北駅伝大会に選手として出場させている。
3] カヌーの選手強化を図る一方、地域スポーツの振興にも着目して、昭和50年代に入り当時東京で流行りつつあったゲートボールを、たまたま寺の檀家の人々が楽しみで行っているのを聞き、他の地域における組織、ルール等の情報収集を行うとともに、地元においてスポーツとしてのゲートボールの普及振興に努めた。
同58年地元のゲートボール愛好者が増加したが常設のコートがなかったことから、寺の境内地に愛好者がいつでも自由に活用できる常設コートを設置した。59年日本ゲートボール連合が設立されると、当時都内の50に及ぶ市町村団体のとりまとめを積極的に行って組織の調整と一本化を図り、同63年5月東京ゲートボール連合を設立して日本ゲートボール連合に加盟した。
東京ゲートボール連合設立とともに理事長となって基盤づくりに努めるとともに、平成3年には寺の境内の駐車場をゲートボールコートに作り替えて幅広い年齢層への普及を心がけ、同4年からは副会長としてジュニア等の育成に尽力している。また同元年以来、日本ゲートボール連合の評議員を務めてゲートボールの普及振興に寄与している。
((財)日本ゲートボール連合推薦)