佐藤 傳一(さとう でんいち)(昭11.10.28生・福島県伊達郡保原町)
多年にわたり福島県馬術競技界を代表する選手として活躍するとともに献身的に後進の指導にあたり、また地域スポーツ少年団の育成に努めるなど、スポーツの振興と青少年の育成に貢献された。
1] 昭和27年福島県で開催された第7回国民体育大会(宮城、山形と共催)の馬術競技に初出場して以来、同36年まで連続10回福島県の代表選手として出場、これまでに選手として26回、また役員として4回、通算30回の国体出場を果たし、この間、第27回大会では卓越した技量を発揮して白馬六段飛越・自馬大障害飛越・自馬総合馬術の3種目で優勝している。また同39年東京オリンピック、プレオリンピック東京国際大会、韓国・ソウルで開かれた第1回日韓馬術大会にも日本代表選手として出場した実力者であり、国際的に活躍している。
2] 自らが選手として活躍する一方、昭和34年以来、獣医の立場から熟知した馬術の競技力の向上に専念し、母校・福島農蚕高校馬術部を中心に競技と競技馬の調教を含めて献身的に後進の指導にあたり、同校からオリンピック候補選手をはじめ国体上位入賞選手等200名を超える馬術競技関係者を育て上げるなど、青少年の育成に貢献している。
3] 昭和60年頃から“野馬追いの里”として知られ馬術と関わりの深い相馬・原町地区の子どもたちに、馬術への理解を得ることを目的として乗馬指導を始めるとともに、「原町乗馬スポーツ少年団」の設立に尽力して63年4月に発足させて以来、地元関係者の協力も得て活発な活動を続けている。
4] 馬術競技を底辺から支えるとともに、福島県馬術界のリーダーとして「ふくしま国体」に向けて自ら強化基本方針を作成して優秀な競走馬の確保、強化選手の県内選抜、指導体制の確立を図った。
平成7年第50回国体(福島県)の馬術競技でこれらの努力が実り、競技別総合得点133点を挙げて昭和25年、同27年以来の念願であった総合優勝を果たし、福島県の天皇杯・皇后杯獲得に大きく寄与するとともに、大会の成功に貢献した。
氏は、福島県馬術界を代表する指導者としてまたスポーツマンとして、馬術の普及と発展、選手の育成を通じ、青少年の健全育成とスポーツの振興に大きな役割を果たしている。
(福島県教育委員会推薦)