借地借家法改正
定期借家権立法の意義
福井秀夫(ふくい・ひでお) 法政大学社会学部教授
日本の借地借家法は、強力かつ不透明な解約制限と継続賃料抑制主義のために万国に冠たる特異なものとなってしまった。日本では1868年の民法施行以来、借家についても他の物の貸し借りと同様、賃貸借期間とその賃料を当事者の合意に委ねてきた。明治・大正期には広い借家が豊富に市場に流通し、夏目漱石も森鴎外も生涯を借家で過ごした。
法と判例が借家権価格の膨大化を保証してしまった
ところが1941年に至り、国家総動員体制の一環として、借地借家法にいわゆる正当事由制度が導入された。これは自己使用の必要性など正当の事由がある場合でなければ貸手から解約を求めることはできないという条項であった。戦時中の絶対的住宅窮乏を踏まえた緊急避難立法として位置付けられていたものである。制定当初は文字通り緊急避難措置として、貸手の自己使用の必要がある場合には無条件に返還を求めることができ、また立退料と引換に返還を認めるといった判例はいっさい存在しなかった。
[借地借家法の問題点]
1] 正当事由制度(正当の事由がある場合でなければ貸手から解約を求めることはできないという条項)
2] 高額の立退料(賃貸借期間中に受け取った賃料総額の10数倍から200倍もの高額に達している)
3] 市場賃料よりも低い継続賃料(判例法上のルール)
4] 借家権価格の膨大化
にもかかわらず、戦後の混乱期、高度成長期を経て、正当事由制度は緩和されるどころかますます強化され、かつ不透明なものとなっていった。現在では、借家関係について、あらかじめ貸手にとっていついかなる要件のもとに正当事由が備わることになるのか、引換に必要とされる立退料の金額がどのような要件のもとにいくらに達するのかなどに関する事前予測可能性が完全に失われてしまった。
立退料の金額も、賃貸借期間中に受け取った賃料総額の10数倍から200倍もの高額に達している。膨大な借家判例を分析しても具体的な基準を導くことはできない。しかも、貸手と借手との利益を総合的に比較衡量するのが判例の方法であるため、借手が立ち退き訴訟の時点においてたまたま失業中だったり、事業が不振だったりすると正当事由の成立は困難となる。立退料の金額も高額化する。このような事情を貸手の責任で予測することは不可能である。言い換えれば、最悪の場合借手の全生活や全営業に対して全責任を負う覚悟がなければ、貸手になることは危険な選択となってしまっているのである。
また、新規賃料は日本ではいっさい規制されていないにもかかわらず、継続賃料については判例法上必ず市場賃料よりも抑制するというルールが確立している。このように、解約が厳しく制限され、継続賃料が抑制されることに伴い、膨大な借家権価格が発生することが避けられなくなった。借家権価格の発生を取引慣行や不動産鑑定評価理論に帰する見解があるが、借地借家法や判例が人為的に解約制限と継続賃料抑制主義という特殊な要因を設定しなければ借り得部分としての借家権価格の発生はありえない。結局のところ、法と法を支える判例そのものが借家権価格の膨大化を保証してしまったのである。
さらに、「借家権」の内容は一義的に定まっているわけではなく、すべてが裁判官の胸の中の価値判断・世界観に依存していると言っても過言ではない。権利を実現するためには、立ち退き訴訟という、時間的にも、労力的にも、金銭的にも高い取引費用が必ず発生する。このような状況下では「コースの定理」の前提を欠き、借家市場は必ず失敗する。膨大な社会的コストが発生するのである。
[コースの定理]
権利を当事者間にどのように割り当てようと、結果的には同一の資源配分が達成されるという定理。この定理が成り立つには、被害の確定や交渉などに伴う「取引費用」がゼロであるという前提が必要である(『経済新語辞典1998』)。