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るということはない。そういう場合は、銀行借入ではなくて社債を選択する。そういうセルフセレクションがあったということが、この最初のところで確認されるわけです。

そうすると─確かに銀行のモニターも問題が発生したと思うのですけれども─こと製造業の上場企業について言いますと、銀行のモニター、銀行の審査が低下しなくとも、80年代後半にシステマティックに期待収益の高い企業が社債に向かい、低い企業が銀行借入に残るということで、期待収益の低い企業が銀行の顧客として蓄積されていくという事態が徐々に進展していたことになる。これがここでの第4点目の力点で、ここでのファクトファインディングの非常に大きなエッセンスであります。ですから、もちろん、80年代について堀内さんや池尾さんが言われていること、あるいは銀行のモニターが低下したというのは、これは事実の一面はついているのですけれども、もう一つのもしかすると主要な事態はこう考えることができる。つまり、日本では企業の銀行関係は、アメリカのように距離を置いた(Arm's length)関係ではなくて、メインバンク関係が1970年代まで全面化している。そうしますと、救済がある種規範化しているわけです。つまり、自分の顧客のところで何かトラブルが起きると救済するというのがある種の銀行の規範になっていた。これはよく指摘されるケースですが、1970年代後半のマツダの経営危機に対する住友銀行の救済などは、その典型的事例です。このように救済が規範化していて、つまり救済しないと社会的な批判を浴びるという状態のもとですと、銀行から提供される負債というのは、事実上救済オプションがついた負債になると理解できるということです。これを前提にしまして、1980年代になって負債選択の手段が多様化する。企業が社債も選択できるようになる。海外から資金を調達できるようになる。そういう事態になりますと、企業の側は先ほど言いましたようにセルフセレクションを行って、結果としてシステマティックに銀行の顧客に期待収益率の低い企業が増加してくる。これが基本的な筋になっていると考えられます。

以下、時間がありませんので、簡単に説明させていただきたいと思います。お手元にあるものの4ページ目を開いてください。ここでは、初期条件ということで、1980年代初頭のメインバンク関係を簡単に要約しているんですけれども、ポイントは、メインバンクとよく言われるのですけれども、その理解は研究者の間で大きく二つに分かれるのです。一つは、日本のメインバンク関係を一般的な銀行関係とそんなに区別しないで考えるという見方です。負債自身は、ある種の拘束効果を持つ。つまり、収益が低くて

 

 

 

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