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が住民の間に伝わって行くうちに流言に変化して行くことを教えている。災害時の情報は、「正確さ」を期するために、住民にとってこなれていない言葉や曖昧な表現を避けるべきである。同時に、日頃の防災教育などを通じて、情報の送り手と受け手側の災害に対する知識のレベルをほぼ同じにしておくことも必要である。

「伊東沖海底噴火」にしても「北海道南西沖地震」にしても、行政サイドから住民への情報伝達は多くの場合、同報無線が使われている,.。しかし、年々ひどくなる都会の騒音をはじめ、集中豪雨や強風の際の音にかき消されて肝腎の情報が聞こえない、あるいは断片的にしか聞こえなかったという例が少なくない。台風の際などは窓を閉め切りにしている家庭が多い。屋外に流れる同報無線の持つ限界であり、災害常習地帯にあっては、各家庭別に流す個別無線機の普及が急がれよう。さらに、情報伝達の「確実さ」を高めるために、情報をどの時点で出すのが有効かを検討すると共に、情報は同じことを繰り返し伝えることの重要性を認識しておく必要があろう。また、「北海道東方沖地震」をはじめ、これ迄の巨大地震の際に見られるケースだが、津波警報がいち早く正確に伝達されても、住民が避難の準備すらしなかったという話をよく耳にする。津波警報だけでなく、九二年九月二八日、日本海側を縦断した「台風一九号」の時もそうであった。この台風は五四年九月二四日から二七日にかけて日本列島を襲った「洞爺丸台風」(台風一五号・死者、行方不明者一、七〇一人)と規模や進路が似ていて、各地で大きな被害が出る恐れがあることを、気象庁やNHKでは台風上陸の二日も前から警告していた。
しかし、この台風で全国で六二人が死亡し、このうち四人に一人は屋外の様子を見に外出したりして死亡していることが明らかになっている。「大津波や大型台風がやって来る」、「大きな災害が起きる恐れがある」と再三再四警告されても、受け手の側は「自分だけは大丈夫」と考えがちである。専門学者は、こうした災害時の住民の心理を「正常化の偏見」と呼んでいるが、情報に応じて住民がいち早く的確な行動を起こさなければ情報を伝える意味がない。住民が「常化の偏見」に陥らないようにするには、災害を実際に経験することだが、災害は都合良く小規模で終わってはくれないから始末が悪い。住民が災害情報に対して適性に反応するためには、日頃の防災教育などを通じて、災害に対してそれぞれの地域がどういった危険性を抱えているのかを周知徹底させることが必要である。その上で、行政側やマスコミ側は、災害情報は広範囲の地域を対象とした「マクロ情報」だけでなく、地域住民が災害をごく身近なものとして感じるように「ミクロ情報」を積極的に流す努力が必要である。こうして見てくると、災害情報を生かす上で、基本的には三つの条件が不可欠である。

その一つは、情報の送り手がまずその情報システムを持つことである。二つ目は、消防、警察など防災関連の行政機関をはじめ、電気、ガス、水道といったライフライン関係諸企業がマスコミ側と日頃から密接な連携を保っておくことが重要である。被災情報、復旧に関わる情報などがマチマチだったらたちまち大混乱に陥るだろう。情報の中には、当然行政や企業にとって都合の悪い情報もあろう。行政機関や企業側には「マスコミ側は何か落ち度があるとすぐに批判する」という意識が強く、都合の悪い情報は何とか隠そうという姿勢が強い。しかし、何はともあれ被災者に役立つ情報を提供するために、マスコミに対する従来からのわだかまりを捨てて、普段からお互いが本音で話し合える場を作っておいて欲しいものである。三つ目は、マスコミにはあらゆる災害に対する取材、情報伝達のプロを、行政、企業側には災害情報に関してマスコミに対応できるプロを育成しておくことが必要である。何事も最後の砦は人間なのだから。もとより将来にわたって科学技術がどのように進もうとも、自然災害の発生そのものを防ぐことはできない。しかし、我々が災害に備えておくことによって、災害の規模は必ず軽減できるはずである。「予防は治療に勝る」という言葉があるが、何も医学に限った言葉ではない。

 

 

 

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