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「災害時、情報はどうあるべきか」

NHK解説委員 吉村 秀實

 

二一世紀を間近に控えた今、世界で、また日本で二〇世紀は一体どのような時代であったのか、様々な分野で評価や反省がしきりに行なわれている。二〇世紀は、機械化や自動化が飛躍的に進み、科学技術万能と言われた時代であった。その科学技術を礎にして「高度経済成長」を成し遂げた時代でもあった。その高度経済成長によって、我々日本人の生活は確かに豊かになった。文化的なインパクトもはかり知れないものがあった。しかし、余りにも急激な経済成長は、都市部への過度の人口集中、交通事故の多発、交通渋滞、大気汚染、水質汚濁など、「歪み」に総称される諸悪を生み出してしまった。高度経済成長は技術革新の賜と言えるが、こうした諸悪を生み出してしまったのも実は科学技術である。もしも科学が万能ならば、こうした諸悪も科学の力によって解決できたはずだが、科学技術は高度化しているのに、地球の温暖化やオゾン層の破壊、資源の枯渇などは地球規模で年々深刻になる一方だし、都市もまた災害に対して脆弱になる一方である。二一世紀を目前にして、新たな技術革新が待たれるところだが、これからの科学技術は人間にとって、地球にとって、何が必要かをきちんと見極めた上で行なわれなければならない。例えば二〇世紀に生まれた代表的な巨大技術として、宇宙開発と核兵器の開発が上げられるが、これはアメリカと旧ソビエトが互いに優位に立とうと、巨額の開発費を投じてなされたものである。それらの技術によって人々の生活がどれくらい変わったのだろうか。多少の夢を与えてくれたのかも知れないが、生活は殆ど変わることなく、むしろ核の恐怖にさらされることとなった。科学技術というものは、国の威信を保ったり、人間を恐怖に陥れるものではなく、本来は人間の生活をより豊かに、暮らしやすいものにしようという目的を持っていたはずである。

一九七二年にローマクラブが「成長の限界」という論文を発表している。その中で、このまま人口増加と経済成長、工業生産、環境汚染、食料と資源の消費を続ければ、一〇〇年以内、つまり二一世紀中に世界は破滅的な状態に陥る。それを回避するためには、物質的意味でのゼロ成長を実現すべきだ、と警告している。今の科学技術を見ると、巨大化、複雑化と同時にブラックボックス化が進んで、現実的には技術と人間の距離がますます離れていっているように見える。しかし、ブラックボックス化した技術は、近い将来世の中から歓迎されなくなるだろう。つまり、二一世紀は、これ迄の時代を支配してきた経済至上主義や科学万能主義ではなく、精神面を重視する「心の時代」になるのではないだろうか。科学技術においても、人や地球にやさしいものが求められるようになるだろう。

そのような認識の上に立って、二一世紀は、「人間の世紀」、つまり人間が本来の人間らしい暮らしを取り戻す時代にすべきだとする主張が今、世界の潮流である。これは取りも直さず事故や災害に強い安全で、安心して生活できる都市を作ることであり、その目標に直結する情報の開示ももはや時代の趨勢と言えよう。

 

「阪神・淡路大震災の被災地に立って」

直下型地震によって多少の被害をこうむるであろうことは予測していたが、現代都市はこれほどまでに地震に弱いものであったのか。

 

 

 

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