登別市の歴史は、明治二年、仙台藩白石片倉家の入植により、本格的な開拓が始まり、数々の苦難を乗り越え、昭和四五年に市制が施行された。
登別市は、北海道の南部にあって、北に高く南に低いほぼ菱形をなし、南北を海と山に囲まれ、支笏洞爺湖国立公園に位置している。四季折々の自然美に恵まれ、湯の香が漂い、年間三五〇万人が訪れ、一五二万人が宿泊している北海道でも有数の観光地である。
市の面積は約二一二km2、人口約五七、〇〇〇人。温泉のほか、自然景観を生かした遊歩道、ゴルフ場、スキー場、クマ牧場…と老若男女が楽しめる施設の整備にあたり「人が輝き まちがときめく ふれあい交流都市 のぼりべつ」が推進されている。
・ 観光客の安全を支える
世界的にも珍しい一一種類もの泉質、豊富な湧出量で東洋一の登別温泉郷。旅館、ホテルの表示対象物は、この地区だけで一九施設を有する。本部では、消防用設備等の検査、査察はもとより、従業員等の訓練、指導にも厳しく取り組み、観光客の安全を守っている。
消防本部の発足は、昭和三八年で、現在一本部、一署、三支署、内山研二消防長以下八九人の職員と、一七五名の消防団員が連携して、市の防災を担っている。
・ 大震災から学ぶ防火水槽
阪神・淡路大震災は、多くの教訓を残している。水道管が寸断されて消火栓が使用できず、頼りになるはずの防火水槽は水量に限界があり、転戦を余儀なくされ、消火活動が思うにまかせなかったことは、その重要な一つであろう。
そこで当本部では、帯水層が比較的浅いという地域特性に着目し、一〇〇t級の集水式防火水槽を建設した。直径四m、深さ一〇mの井戸を沈め、帯水層部に直径八〇mmのパイプを一〇数本設置したもの。これをビッグウェル(大きな井戸)と名付け、その集水量は毎分一〜二tの能力を持ち、移動せず、大量の水を、継続的に確保でき、長時間の火災にも対処できる。二次的には、生活雑用水の確保(浄化すれば飲用?)もねらったもので、まさに一石二鳥である。すでに二基が完成、今年度も地質調査が進められている。
・ 救急自主研究会
平成六年七月、救急技術の向上を目的として、救急自主研究会を発足させた。現在、吉田雅宣救急救命士を会長に四一名が研究に励んでいる。毎月テーマを決め、座学、実技、出向と内容は、多彩である。職員同志の技術には自ずと限界があるため、外部の病院医師や、医療器具製造の専門家を講師としたり、病院研修や院内見学等も含め成果をあげている。
また、パソコン自主研究会も人気で、盛んな活動を続けている。
・ 和をつくる相互信頼
登別地方は、地形の関係で降雨量の多い地方としても知られている。内山消防長は、かつては幾度となく水害に悩まされてきたが、原因は降雨量に対する排水能力の不足ということで、河川の橋梁部の拡幅、排水路の増設等で通常では、水害の心配はないと安堵している。
一方で職員は、この日も訓練に汗を流していた。「非番員もいれば、様子を見に来た公休者もいつしか参加している。その自発的な職務意欲には頭がさがる」と職員に対し全幅の信頼を寄せている。
ちなみに、消防長のモットーは「和と信頼」。相互信頼の上に築かれた強固なチームワーク、そして意欲旺盛な職員に期待したい。
(海老原 光三)