日本財団 図書館


活動隊は第二活動現場へ移動し、南分署支援隊のタンク車が火災危険の排除(放水準備)、救助隊は工作車を普通トラックの前にいる大型トラックの斜め前方に止め、車両前部の牽引フックにワイヤーを掛け、救助工作車を台付けとし、事故処理のため現場待機中の日本道路公団要請の大型クレーン車に協力を求め、普通トラックの車両後部牽引フックにワイヤーを掛け、大型クレーン車で牽引し車両を引き離した。更に、引き離した普通トラックのハンドルシャフトにワイヤーを掛け、前方の大型トラックを台付けとし可搬式ウィンチで牽引し、運転席及び助手席を拡張して二人を救出した。

 

おわりに

本事例の救助活動にあたり、先に行われた名神リフレッシュ工事期間中発生した数回の追突事故を教訓に消防側は、高速道路交通警察隊に二次災害防止と救助隊員の安全確保及び活動スペースを得るためにも、事故車線の速やかな完全閉鎖を強く要望していたもので、その処置が極めてスムーズに行われた事例である。また、事故現場到着時、要救助者の救出指示命令が的確に隊員に伝わり行動できたこと、事故の規模からすると素早い救出ができた救助事例でもある。

今後、救助隊は自隊の資機材による救出方法に固執することなく、現場での他機関との相互間の連携を今以上に密に強化し、組織的に行う救助活動が肝要である。それには、高速道路での救出訓練時には今まで以上に他機関との総合的な訓練が最も重要である。また、事故状況等の収集について高速警察隊、道路公団、消防機関等がそれぞれ調査しているが、情報をとりまとめる機関、場所等を明示し情報の一元化を図るのも今後の課題である。

(川合 一)

 

013-1.gif

 

予防・広報

『浮き城のまち行田・消防ボランティアレディース隊発足』

行田市消防本部(埼玉)

 

はじめに

行田市は、埼玉県北部のほぼ中央に位置し、北は利根川を境として群馬県に接し、南には荒川を擁し、自然の清流に囲まれた肥沃な大地と輝かしい歴史を持つ緑豊かな人口約八六、〇〇〇人、面積六一・五五km2のまちである。

行田市は、埼玉県名発祥の地であり、風土記の丘として整備されている国指定史跡の「埼玉(さきたま)古墳群」をはじめ、市内には数多くの古墳が残されている。

昭和五三年には、埼玉古墳群中のひとつである稲荷(いなり)山古墳から出土した鉄剣から一一五の金錯文字が発見され、古代史の謎を解く手掛かりとして一躍脚光を浴び、国宝にも指定された。また、中世に入って成田顕泰(あきやす)により築かれた「忍城(おしじょう)」は、難攻不落を誇る城とし、て長く関東七名城のひとつに数えられた。行田市は、忍城とともに栄え、その後も「足袋の行田」として全国にその名をはせた。しかし、戦後の服装文化の変遷により市内の基幹産業も足袋から被服・靴下の生産に主力が移り、工業団地の造成や国鉄行田駅(現JR行田駅)の開設により都市化が急速に進み、「水と緑の快適創造都市」の実現を目指し、大きい飛躍と躍進を続けている。

消防体制は、一本部・一署・三分署に職員九五人、消防団二〇個分団・二四四人及び水防員6個分団・一四〇人の消防体制で、防火・防災に対して柿沼安治消防長を中心に一致団結して市民の防災ニーズに答えられるよう日々努力している。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION