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そういう意味でたとえばお母さんが赤ちゃんを乳母車に乗せても、買い物帰りで重いカートをひっぱって子どもの手をひいてもちゃんと歩道をゆったりと並んで歩けて一筆書きで行って帰ってこられる町、そして歴史、伝統文化の継承されているまち、つまりさまざまな私たちの地域ができあがってきた証がある町を考えたい。

そして1番目の目標の最後に、子ども達の感性を刺激することのできる環境があるまち、今の子ども達はゲームやバーチャルリアリティ、誰かよその人が作った映像やアニメーション、あるいはカメラマンが撮ってきた、素晴らしいフィルムを見てこれが自然だと思う。反対に、現実に身の回りにあるものは手入れが行き届かなかったり、ちょっと目を違う角度に向けると汚かったりするわけです。そうすると、これはテレビなどで見ている自然とは違うので良い環境ではないと思ってしまう。ですが、たとえば、自分が身の回りにある環境を見たとき、あるいはそこに行った時にどろんこでつるんとすべって、泥んこになってしまったあげくに、池にポチャンと落ちる経験をするかもしれない。その時に自分の力ですべらなくするにはどういうことか、小さなけがで大きな事件を防ぐということはどういうことかと考えることができる。そういう感性をいつも刺激してくれる環境を残したい。

2番目として、環境パートナーシップの視点、「観る眼」(あえてあて字をします。)の視点。それと、テコの支点、つまり支える点、というのを是非考えてみたいなと思います。

この視点というのはものの観方、演題に環境観の観という字を使っている理由をご説明しなくてはならないのですけれど、私は今、江戸川大学の環境情報学科という所にいるのですが、その前にいた応用社会学科で「アリの眼、鳥の眼、環境を観る眼」というタイトルでゼミを開いていました。それは環境をどのように認識して自分が自分なりのものの観方で把握するか、つまり土の中のアリのつもりで、土はふかふかで掘りやすく、あるいは雨がうまく流れてくれるメカニズムで、いつもアリにとっていい環境なのか、もぐらはどうか、そんなことをアリの眼で考える、次に鳥の眼で空から見て、対極的に自分の住んでいる環境に緑のゾーンはあるのか、河川敷の空間にどういうふうに緑がつながっているのか、土地利用上のレイアウトをとらえ質と量を観る眼ですね。
あるいは住宅地なら住宅地なりにその住宅地の中で降った雨がどれだけ保水されているのか。保水が可能だということは鳥からみても土や草や木とくに湿地があることですから、子育てをしたりちょっと羽根を休めに降りて行きたいなと思える環境なのかどうかという観方が鳥からみた視点なのです。

3つめに環境を観る眼というのは人間として自分の地域だけではなくて、地球全体までに思いを馳せてどうやっていつも環境のことを、意識できるかということを考えていけたらなという意味での視点です。つぎにもう1つの支えるほう、テコのほうの支点です。これは市民参加という言葉が良く使われているのですが、司会の方や実行委員会の代表者の方のお話にあったようにこうやって集まって話を聞いてイベントだけをやっているだけで良いのか、ということもあります。

 

 

 

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