こうしたマクロ経済の不均衡化(貿易収支不均衡と財政赤字)を容認した背景に簡単に触れておこう。インドは伝統的にストップ・アンド・ゴー政策をとってマクロ・バランスを維持しようとしていたが、1970年代後半からこうした均衡主義が崩れはじめた。そこに至る論理は、次のように説明できる。食料自給を目指した緑の革命は農民を市場経済に巻き込み、価格に反応する多数の富農層(社会的には中間層を構成)をつくり出した。貧困層もまた、市場価格よりも低廉な穀物を供給する公共配給制度への食料価格に敏感になった。その結果、補助金が膨らむにつれて、農民や貧困層は選挙という民主主義を通じてレント・シーカー化していった。政治的覚醒(political awakening)が政治的腐敗(Political decay)をもたらしたと指摘される現象であり、クルーガーのいうレント追求社会が農業部門や低所得者層にも広がっていった。1970年代後半からの確固とした一党優位を確保できなくなった政権与党は、社会がレント追求化するにつれてポピュリスト的政策運営に傾斜していき、拡張財政を抑制することなくマクロ不均衡が顕在化していった。開発と民主主義(または開発独裁)については多くの議論があるが、インドでは民主主義が開発に及ぼすネガティヴな側面が顕在化していくことになる。
4-2 農業固定資本形成の動向
今日のインド農業についての中心的議論のひとつに、農業固定資本形成の動向がある(第1-11図)。そこでは、(1)ひとつには農業部門の実質資本形成額の成長が80年代に停滞したことと、また(2)80年代半ば頃から公的部門による資本形成が減少し始めたのに対して民間部門による資本形成が増加に転じており、併せれば農業部門の資本形成成長率が僅かではあるが増加し始めていることが指摘される。
80年代半ばまでは公的投資と民間投資がパラレルに変化していたことから、公的投資が民間投資を誘発するという議論がなされ、それ故に公的投資による資本形成の頭打ちが民間投資に悪影響を与えるのではないかと問題視された。7しかし80年代後半からの公的と民間投資による資本形成の動向の乖離から、新たな解釈の必要性が生まれてきた。特にここで注意すべきは、70年代後半に農業に不利に動いた農工間交易条件に有意な変化がみられないにもかかわらず、80年代後半から民間による農業固定資本形成が増加していることである。