これは例えば、ドル・タームでみた機械類の輸入額指数が農業危機以降に低下して、しばらく回復できなかった事実からも確認できよう(第1-5図)。すなわち農業危機から70年代後半までインド経済は「外的罠」に捕らわれて、「失われた10年」ともいうべき停滞を経験することになる。3「緑の革命」の恩恵により総輸入に占める農業関連財の輸入額比率が低下するのは、1970年代後半からである。と同時に、外貨ポジションが回復してインド経済は「外的罠」からの離脱を漸く果たし、80年代にはいってからの経済自由化の前提を整えていった。4
3 農業政策の再転換と農民運動
3-1 農業政策の変化
既に第1-4図でみたように、60年代以前は、穀物需給が逼迫していたにもかかわらず、穀物輸入によって賃金財としての穀物価格を低く抑えるという工業化優先の経済政策のもとで、交易条件は農業に不利に動いていた。しかし農業危機以降には、農業補助金の増加や穀物買い上げ価格の上昇などの「緑の革命」を押し進めるための政策誘導の結果、交易条件は急激に農業に有利に展開することになる。
農業優先政策への政策転換は、インド北西部のようなインフラの整った地域をインドの穀倉地帯にかえた。その一面を農業への公的金融貸付について観察しよう(第1-10表)。パンジャーブ州とハリヤナ州は、公的金融機関からの借入比率が高く、負債額中の農業資本投資目的の比率も高い。その結果、特に固定資本投資支出額がもっとも高くなっている。農家当たり固定資本投資額は、パンジャーブ州Rs915そしてハリヤナ州Rs652であるのに対して、ビハール州Rs43と西ベンガル州Rs54でしかないことは対照的である。ここに支持価格制度や各種の補助金を通じて、農業優先政策をとる政府と新興富農層との蜜月関係がはじまった。
「緑の革命」の結果、穀物輸入が急減して、インドはリカードの外的罠の脅威を減じていった。