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しかしながらインドの死亡率低下は、中国の劇的な変化と較べると色あせて見える。中国の死亡率は1950年代初頭には人口1000人あたり25で、インドと同じ水準にあったが、20年後の1970年代初頭には7を下回る低水準となった。この間乳児死亡率は195から61へ、平均寿命は39歳から62.5歳へと、インドの50年間に相当する改善を20年間で達成したのである。インドと中国の大きな差は、単に医療技術の発達やその国民的普及度の違いによって説明出来るものではなく、中国における教育普及と社会構造の変革が農村を含む全土で徹底的に進んだことによるものと見るべきである。逆に言えば死亡率改善の格差は、インドの社会的近代化の相対的遅れを反映するものであり、その事実を認識することが人口増加の将来を展望するうえでも重要である。

 

<出生率の推移>

死亡率の低下は、出生率の低下を伴わない限り人口増加を加速させる。1950年代から1970年代前半にかけて、死亡率の低下にもかかわらずインドの人口増加率が2.3%前後の水準を維持したのは、出生率も緩やかに低下していたことを示している。合計出生率で見ると、インドでは1950年代前半の6.0から1970年代前半には5.4までゆるやかに低下した。ところが1970年代後半になると、インドの出生率の低下は加速する。合計出生率は1950年代前半から1970年代前半までの20年間で、0.54ポイント下がったが、1970年代前半から1990年代前半までの20年間は1.68ポイントの低下で、そのスピードは3倍以上となった。

しかしながら1970年代後半に出生率低下が加速した原因を、社会的・経済的要因に見出すことは非常に難しい。当時、インドは天候不順による飢饉およびオイルショックに端を発するインフレ等の政治的・経済的困難に見舞われていた。第2次インディラ・ガンディー政権は、こうした困難を克服するため強権的な諸政策を援用していたが、その一環として断種手術を中心とする家族計画の推進を強行したのである。したがってこの時期に出生率低下を加速させ得た唯一の要因は、この政策にあったと考えられるのである。しかしながら断種手術の強行は国民の強い反感を買い、やがて総選挙で国民会議派が大敗を喫する原因の一つとなった。

 

 

 

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