日本財団 図書館


人口動態は、政府の政策だけで自由に動かすことは出来ない。とくに出生に関しては、一般大衆の間に少子化をもとめる広範な要求が存在しなければ、家族計画は所期の成果を収めることが出来ない。仮に一旦出生率低下を加速することは出来ても、その成果を維持発展させることは難しい。しばしばインドの家族計画の遅れの原因を非能率な官僚制や、組織的強制力のない政治体制に帰する議論があるが、それだけで充分な説明になるとは思われない。インドの将来を考える上で、この点を正しく認識することが極めて重要である。

 

3. 人口転換と地域格差

 

インド国内ではその南端にあるケララ州を先導として、雁行的な人口転換が進んでいる。1991年のケララ州の合計出生率は1.8で、人口置換水準(2.05)を大きく下回り、欧米先進国や日本等と比肩される低さに達している。これを追って同じくインド東南端のタミル・ナドウ州の合計出生率は2.2(1991年)で、人口再生産水準に迫ろうとしている。このほか南部地域のカルナタカ州(3.1)、アンドラプラデシュ州(3.0)等は、中東部地域のマハラシュトラ州(3.0)、グジャラート州(3.1)、ウエスト・ベンガル州(3.2)等とともに、インドの平均合計出生率3.6を大きく下廻って出生率の低下がかなり進んでいる。(人口200万人未満の州および政府直轄地を比較から除く。以下同じ。)

これに対してインドの出生率を全体として押し上げているのは、人口の大きさで総人口の42%をしめる北部のいわゆるヒンディーベルト地帯の5州、すなわちビハール州、ハリヤナ州、マディヤプラデシュ州、ラジャスタン州、ウッタープラデシュ州である。これらの州では出生率が極めて高く、1991年の合計出生率はいずれも4.0を越え、ウッタープラデシュ州では5.1に達している。これはケララ州の2.8倍にあたる。1981年には、ウッタープラデシュ州(6.1)とケララ州(2.9)との格差は2.1倍であったから、両者の格差はこの10年間に拡大している。全国的に出生率低下の傾向が見られるなかで、南部諸州が先行し北部諸州が立ち後れている状況が生まれたのである。1991年以後についても、南部や中・東部諸州と北部諸州の出生率格差はさらに拡大傾向がみられる。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION