されなきゃいけないのか」というような思いがあったみたいなんですよね。家裁の人が来たら他の部屋に隠れちゃって、隠れながらも気になってドアをチラチラ開けて様子を伺って「こいつは誰だ、誰が来たんだろう」、「又、連れて行かれるんじゃないだろうか」みたいな様子でした。全く口数も少なくて、その相手の家裁の人が帰ったら、ホッとしてね、「帰ってくれた」というんです。なんか直観的に自分の身にかかわるということできてるんだなとわかるんですね。家裁の人と話してて、彼の生い立ちとかそういう話をしてると、彼はその時テレビ見ながらじっとしてたかな、見てるようなふりして、家裁の人が言うには「聞き耳たてて、聞いてる」って言うんです。だから子どものことだからと思ってたんだけどそうじゃないっていうことでびっくりしたんです。子どもっていうのは思ってる以上にわかってるんですね。
だから、そういう意味でね、別離体験がありますでしょ、親と子が別れるような体験の傷がまだ癒されないで、潜在的なところでうずいてるんだなというのを、そういった事を通して感じたりしました。ですから、乳児院の先生なんですけど、とてもよくして下さって、その後も時間が立っているにもかかわらず、本当に忘れて下さらず