ピックのため、計画を練り直し、最初にチケットの取れた四競技以外に欲を出さない、娘に寒い思いをさせないだけの防寒用具の必携。その年齢にしてはビックな娘を抱きかかえていられるだけの体力づくりをして迎えた一九九八年、いよいよ冬季長野オリンピックは開幕しました。
「きつかったら帰ろう」と言っていた私たちの心配をよそに、気温と天候に恵まれ、会場の大歓声の中でもぐっすり寝る娘をどれだけありがたく思ったことか。娘と一緒だったおかげで、外国の方がビデオカメラを向けて私たちを写してくれたり、背中におぶった娘の手を握ったりしてくれました。はなしかけられて、一緒に写真を撮ったこともありました。心暖まる思い出がたくさんでき、私たちの長野オリンピックは幕を降ろしました。
今、娘は小さな庭の真ん中にある松葉菊の中で寝転んでいます。その場所には、偶然にも娘の名前の一文字と同じ漢字を持つ名前の犬が埋まっています。二人の間に子どもが生まれなかったことで、こんなにすばらしい出逢いにつながり、親子となることができ、私たち夫婦は「赤い糸」というものを本気で信じている日々であります。