なったので読む気がしない」がそれぞれ八○%を超しているのだ。若い世代でもこれでは、高齢世代ではなおさらだ。
「不動産でも金融商品でも、資料に細かい文字を見つけたら、まずそこから拡大コピーでもして読むことをすすめる」とは以前ある大手保険会社セールスマンから聞いた話。なぜ最初からそう作ってくれないのかといいたいが、大きくする分印刷コストが余計にかかる、よって運賃、郵送費、人件費など関連費用もかさむ。おそらくそれでも読まない人が多いから無駄である、しかも読まれたらリスクがわかって商品の売れ行きが落ちる可能性がある、と極端にいえば、そんなところなんだそうな。
インフォームド・コンセント(医師が患者に情報を十分与えたうえで、患者の意思を反映させて医療の内容を決めていく方式)に代表されるように、これからは自己責任型の社会になりつつある。各種の契約やサービスなどの利用時も、「契約書の文字が小さかったから気が付かなかった」では残念ながら済まされない。だからこそ自己責任を問うのなら、企業や行政サイドもそれなりの環境を整える義務がある。情報公開とは単に知らせればいいのではない。どうわかりやすく開示し説明するか、その手法も問われるはずだ。
多くの人は市民として地域で暮らす一方、社会で何らかの職に就いて働いている。職場、仕事上の利益と一市民としての価値観の対立も生じる。組織の利益優先できたつけを客観的には指摘し、反省できる。しかし自らはどうだろうか?私たち一人ひとり、従来と違ったものさしで仕事を行う度量は持てているだろうか?