連載 笑う門に福来たれ
町人との喧嘩 『江戸のこばなし』より No.8
町内の若い男が、道で侍に突き当たった。
「無礼者!お前の眼はどこについているのだ!」
「なんだ!それはこっちの言う科白(せりふ)だ」
「おのれ、待に向かってその口のききようはなんだ!」
「侍がなんだ!侍なんかくそとも思わんわ」
「なにを!くそとも思わんだと!そこに直れ、手討(う)ちに致す」
待が、刀のつかに手をかけようとしたところに、運よく来合わせた大家が、
「まあまあ、お待ちくださいませ。この者が、なにかお気に障(さわ)るような事を致しましたでしょうか?」
「武士に対して無礼千万。拙者(せっしゃ)に向かってくそとも思わんなどとぬかしおったわ」
「お腹立ちはごもっとも。わたくしからも重々お詫び申し上げます。どうぞご勘弁下さいませ。甚吉(じんきち)、お前もお前だ。お侍さまに向かって、『くそとも思わん』などとはとんでもない。いいか、これからはくそと思うようにするのだぞ」
(『再成餅』(ふたたびもち)安永二年・一七七三年刊)
● 武士の権威もいよいよ失墜したもの。空威張りしているどこかの政治家やお偉いさんを一度はぎゃふんと言わせてみたいのが、いつの時代も庶民の願い?
● 江戸時代、町人の間で広く愛きれた「小咄(こばなし)」。短い話の中に人情や世相の機微を取り込みながら、おもしろおかしく結末を結ぶ。世の中ははるかに変われど、当時のこばなしは、時空を超えて現代の私達にも粋な笑いやペーソスを届けてくれる。山住昭文氏による著作から毎回連載でお届けする。
● 『江戸のこばなし』(定価1100円) 山住 昭文著
原作の味わいを残しながら、現代の読み手にもわかりやすく手を加えた軽妙な文章の1冊。筑摩書房から好評発売中。