レストランの開業は亡き長男との約束でもあった
山本さんは昭和九年樺太生まれ。日本社会事業短期大学を卒業後の同三〇年、武蔵野市福祉事務所に就職。徴税吏員などを経て、武蔵野市福祉公社初代事務局長、老後福祉課長などを歴任。平成七年に保健福祉部長として定年を迎えるまでの四〇年間の公務員人生の大半を、高齢者福祉にささげてきた。
武蔵野市といえば、独居老人を中心に昼食を届ける老人食事サービス事業を行ったり、有償在宅サービス事業で知られる福祉公社も設立。また、家屋敷はあるが現金がなく、家事援助サービスを受けられない高齢者に、資産を担保とする貸付制度を作ったり、全国に先駆けて全室個室の特別養護老人ホームを実現するなど、ユニークで利用者本位の福祉施策で有名だが、そのほとんどは山本さんが打ち出し、実現にこぎつけたもの。そして長年、高齢者問題に取り組んできただけに、「老後をどう生きるか」については人一倍真剣に考えたという。その結論が、レストランのオーナーシェフだったのである。
「第二の人生を、人の力や情け、ましてや自分の過去にすがりついて生きるのは潔くはない。自分の力で自分なりの人生を切り開きたいと思いましてね。でも、これといった特技もない。ただ、ずっと共働きを続けてきたので、家事分担として、結婚してからは、朝晩の食事作りはもちろん、子供たちのお弁当まで担当してきた。だから、料理を作ることには慣れていたんです。また、八年前に亡くなった長男が脳動静脈奇形という病気で、左半身まひだったんですが、そういう子の就職は非常にむずかしい。だから、息子を励ます意味もあって、生前、定年退職をしたら、一緒にレストランでもやろうかといっていたことも、ひとつのきっかけになりました」