が多いのです。先輩の先生方は「それでいい。大学に入ってから動機付けすればいいのだ」といいますが-。
先生の著作を拝見すると往生要集、餓鬼草紙、徒然草といった国文学の古典から老いや病の姿を生き生きと描いた文章や挿絵を引用しています。それがリアルで印象的ですね。
私が歴史を専攻したのは、自分はどう生きていけばいいかを探すためでした。まず昔の人はどのように探したかを調べようと思いました。ある時、人は重い病気になると自分の過去を振り返り、もし病気が治ったら自分の人生をこうやり直したいと思うのではないかと考えました。そこで平安中期の藤原道長の日記などから病気の時の部分を拾い出したのです。そして、これらの文章をきちんと解釈するには、その時代の医療状況を把握しておく必要があり、そこから医療史へ入っていったのです。ただ、残念ながら今の医学生は理科系なのに何で古典と付き合うのかと反応はいま一つですね。
私の父は七〇歳の時に痴呆(ちほう)症になって六年間病み、最後は直腸がんで亡くなりました。がん末期には家で看取ることにして私と母が交替で介護しましたが、当時は行政が当てにならず、医者は往診を拒み、訪問看護婦には気を使うなど在宅介護の厳しさを十分味わいました。このことも今の研究テーマを選ぶきっかけの一つになりました。