そんな横田さんが大工へと転身をめざすことになったのは、九四年に誕生した女性だけの工務店『京女工房』がきっかけ。
「平安建都千二百年を記念して、女性だけの工務店をつくったらどうやろと、主人が発案しましてね。そして新聞でスタッフを公募して二七歳から四七歳までの六名を採用し、二級建築士の資格を持つ女性を代表に、主人の指導のもとで『京女工房』がスタートしたんですわ。でも、当時、私は奥のほうからそっと見てただけでしたし、むしろ、女の人に大工さんが務まるんかという、懐疑的な気持ちもありました」
だが、横田さんの予想に反して、『京女工房』の出足は好調だった。女性が経営する女性だけの工務店ということで、マスコミにも取り上げられ、また、「女性だけの所帯で、男の人には頼みにくかった」という注文も相次いだ。が、次第に女性の中でもめごとが多くなり、一人減り、二人減りして、代表者も辞めた。
「女が寄り集まって経営するということは、慣れていないからむずかしいんですわ。誰がえらそうにしても腹が立つ。同じように入ったのに何で?とね」と、横田さんは当時を振り返る。そして急きょ、発案者である亀さんの妻に、代表者の白羽の矢が立ったのだ。
「まとめるもんがないとあかんと、説得されましてね。まあ、名前ぐらいならいいかというほんの軽い気持ちで、引き受けたんです」
プロを説得するにはプロになるしかないと一念発起
本人いわく「単なる主婦」とはいえ、横田さんは子育てをしながらも、自らダンプを運転して現場へも行き、段取りを付けるなど、長年、夫の仕事を手伝ってきた。素養がないわけではない。名前を貸すだけのつもりだったが、「つい、ムラムラっとして」次第に現場へと足を運ぶ回数が増えていった。だが、悲しいかな、『京女工房』の代表者として現場に行っても、相手にされないことが多かった。
「大工さんたちに何かいっても、"素人が何をいうてんねん。あんたがしたらええやろ"ってね。相手はプロで、私は素人。それが悔しくてね」
プロを説得するには、自分がプロになるしかない。そう考えた横田さんは、一念発起して、大工を養成