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とは失うこと。生活能力も、財産も、健康もどんどん奪われ、好きだった人たちもいなくなる。そうすると、人間はゼロからはじまってゼロに帰るんだということがよくわかる。だからこそ、今をしっかり生きなきゃいけないと、力が湧いてくるわけです。患者さんの姿を通して、ぼくは、本当にいろんなことを教わった。だから、今度はそれを社会に伝えることが、ぼくの責務だと思うんです」

 

社会参加のない生活では、生きる意欲は生まれない

彼がこの一年半にかかわってきた患者は、老衰、痴呆、末期がん、重度の糖尿病、脳梗塞の後遺症を持つ人などさまざまだが、平均年齢は八○歳を超えるという。人生の終末期を迎え、「完治しない」病を抱える人たちを相手にするなかで、今、英医師が痛感しているのは、「家に帰しただけでは、お年寄りは幸せにはなれない」ということ。

「大体、病院から退院してくると、生きる意欲はみなさん、ほぼ強まるんです。一度はね。でも、長いこと寝てると、また弱まる。お年寄りというのは、みんな、周りに迷惑をかけてまで生き長らえたくないと思っていますからね。そうした彼らに生きる意欲を取り戻させるには、なんらかの形で社会参加をさせなきゃいけない。きついいい方をするようですが、社会復帰をめざさない施設は、収容所でしかないとぼくは思っていますが、一方在宅医療というのは、まだまだ発展途上の医療形態ながら、高齢者と若い人が同じ社会にいられる。これはまぎれもない利点でしょう。だから、ぼくは在宅医療を通して、社会に対する問題提起をしていきたい。そして、マヒや病気や痴呆を否定するのではなく、そうした症状を抱えながらも、お年寄りが社会参加できる方法を模索していきたいんです」

今の医療の現実をクールに見つめ、一方で、人間らしい人生の終末とは何なのかを秘めた情熱で社会に、そして自らに問いかけていく。二一世紀を担う、若き医師の挑戦はまだ、はじまったばかりである。

 

 

 

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