る全国介護福祉士・介護福祉研究会を設立して会長になりました。その後、私も夫と歩調を合わせて歩く年齢になったのですが、四年制の介護福祉士養成コースが医学部、看護学科と併設された東海大学からお声がかかったので新潟県から神奈川県に単身赴任したんです。一九九五年のことでした。
家族のやさしさを取り戻すための社会的介護
その単身赴任中に肉親の介護をなさったとお聞きしました・・・・・・。
毎週神奈川県から長野県に通い、肝臓がんの父親を在宅で看取りました。そのとき在宅介護はどこまで可能か実地に確かめようと、どんな条件があればいいのか、ありとあらゆる社会的介護サービスを利用しました。医療の裏付けのない福祉は無力ですのでお医者さんに週一回、看護婦さんに二回、ヘルパーさんに三回来ていただいたうえ、歯医者さんと、歯科衛生士さんにも来てもらい、褥瘡ができたら皮膚科の医師、さらに保健婦さんにも来ていただきました。
介護には家族のどなたが当たったのですか?
母が高齢でしたから姉と私と姉と私の子供たちがローテーションを組みました。家族の中でキーパーソンになってくれたのは姉です。在宅介護には社会介護の協力が欠かせませんが、介護力にならなくてもいいから、介護の現場には家族が参加してほしい。家族介護に比べると専門職による社会的介護のほうがより技術レベルは高い。