橋本孝 主人の母の話ですが、東京で一〇年ほど入院しております。ほとんど兄夫婦にお願いしておりましたので、看護というほどではございませんが、一度でもいいから高知に迎えたいと転院をお願いして八ケ月間ほど高知のほうで療養しておりました。
堀田 子供としては、何かしてあげたい、喜んでもらいたいと思うんですよね。
橋本孝 はい。それでいろいろ考えたんですが、そうだ、新しいお布団でゆっくり休んでもらおうと、七組つくりました。母が外泊を許されてはじめて泊まった翌日、だんだん帰る時間が迫ってきますと顔に出るんですね。寂しさだと思うんです。ですから「お母さま、今度いらしたときにはまた新しいお布団に寝ていただくためにこうして用意していますからね」といったら、しばらくして母が「孝ちゃん、悪かったわね、散財させて」といったんですね。
堀田 ほおー。
橋本孝 それを聞いて私は、母の面倒をみたい、看護をしたい、母と一緒にゆっくりしたいと思う気持ちをどうしてもっと普通に出せなかったのか。「お布団も構えていますよ、こうしたいのよ」と何か押しつけがましくいった自分が恥ずかしく反省したことを覚えております。
堀田 心の通い合いというのはなかなかむずかしいですよね。でも温かいお心遣いに、きっとお母様は心から喜んでおられましたよ。
橋本孝 夜は一緒に川の字に寝てお話もできましたし、それなりに喜んでくれたでしょうが、さり気なさが足りなかったなあと。
橋本大 母の場合は兄も私もこういう仕事をしておりますし、病院にお預かりいただくという、ある意味ではやや社会に甘えた形になって内心忸怩(じくじ)たるものはあるのですが、本当にお宅でやられている方は大変だなあと。その部分をどう公的なもので支援して差し上げるか。ただ、受ける側の方々の心、意識のむずかしさというのもありますね。
堀田 日本ではまだ、介護に他人の手を借りることに、罪悪のような、あるいは遠慮のような感情が多いですからね。