そういう実力がたくさんあれば、いや、あそこへ行くと、自分たちの話じゃなくて、やはりあの熊撃ちの話をするおじさんに来てもらって、山刀とライフルを見せながら、熊撃ちですから殺すんですが、命の大切さとか、刃物の厳しさを含んだ、教育的な意味合いの話をしてくれるんです。それが、学校側は、それを実力と思って依頼してくるわけです。この人のコマの割り振りがうちの職員としては大変なんです。
ということは、うちの職員も努力して、それなりの実力を持つようにしているのですが、この種の人たちを我々の施設が見つけてくるとか、この分野は、この人はすごいけれども、子どもたちの前に出たときに、力があってもそれがうまく表現できないという人もいるから、育てると言っては失礼なんですが、教師として教壇に立てるような形のトレーニングを施設がやっていって、外部の人たちのスタッフをたくさん抱えるとかという形を、平成14年に新学習指導要綱が始まるまでに続けていかないと、せっかく総合的な学習の時間で教育資源を、周辺にあるものを使いながらやりなさいという教育す旨針があるにもかかわらず、我々が見つけられなくて確保できないと、またぞろ一方的なラブコールで終わってしまうなという感じがするんです。
そういう面での周辺といいますか、周辺の人たちも含む我々の実力という形の再構築をもう1回考えなきゃいけないなという感じはしますね。
司会 確かにそうですね。やっぱりすぐれた人材をどの程度多く抱えられるかと。各施設では事日日の職員が多くても4人か5人きりおりませんから、やっぱりそれだけでは全部の要求にこたえることはできない話ですから、そうした人材を登録制度、活用制度等によって広く用意することは、本当にこれから必要だと思われますね。
確かに先程の伊藤先生の話にあった、学校との連携といいますか、あり方というのは、ここまでいけば非常に魅力的ですね。要するに、青年の家や少年自然の家の事業を学校が逆に一部取り入れるという方式は、学校にとっても非常に画期的な学校運営をもたらすものだと思うんですね。
伊藤 現に今、セカンドスクールなどでは国語の時間として2時間と、教科に換算しているでしょう。英検方式での学社融合の仕組みはもう始まっているということです。抽象的、観念的なことじゃないです。
施設の人に申し上げたいのは、この種の提案があると、すぐ評論家気取りで棚上げてしまうけれど、そうでなくて、現実に一つ一つ実行するところに社会教育のおもしろみがあるんだと思うんです。今なすべきことを一つ一つ実行していくべきだと平成10年の中教審も強調しているのですから…。