それと、教師の特色を、分析して、その対応を考えるのが仕組みだといえます。具体的には、教師は責任感が強いということになると、子どもの教育を自分がやるよりは、青年の家でやった方がよろしいと思う実力と仕組みをつくることです。これは、特色である使命感をくすぐらなきゃだめです。自信家ぞろいですから。
責任感が強いというのなら、どういう形でそこを手当てするか。これは校庭開放形式をとればよろしい。これは教育全体の仕組みを変えるという問題にもなります。校庭開放のときには、事故があっても校長の責任ではないんです。
司会 社会教育で、学校教育から外れているわけですね。
伊藤 校庭開放では、権限と責任を教育委員会が持っています。その仕組みがしっかりすれば、学校も預ける。抵抗がありますが、校庭開放形式で、ばさっと青年の家へ預けちゃうぐらいの仕組みをつくっていかなければいけません。先生方は責任感が強いですからね。
四つ目は、預けた場合にその評価をどうするのかという問題が出てくる。評価は、英検方式でいったらいい。社会教育の学習で、英検2級を取ったら成果は社会教育ですね。ところが、お茶の水大学は2級を持っていたら正規の大学教育としての英語の2単位です。英検2級が、社会教育の学習成果であり、一方では学校の教育成果だという形になっています。こういう社会的な仕組みをつくっていけばいいんでしょう。
まだまだこの点は整備されていませんが、校庭開放方式なり英検方式があるわけですから、不可能じゃないと思うんです。
その意味からいったら、総合的な学習の時間というのは、学校教育だけではできないと思います。体験活動を中軸とする社会教育などの専門分野を無視して、学校だけでままごとか何かでお茶を濁すのだとしたら、もったいない話を通り越してしまいます。
司会 なるほど。今後の方向として大変示唆に富む話ですね。
鈴木 今、我々は学社融合という言葉を使いますけれども、学校サイドを見ると、学社連携の理解も十分ではない状況もあると思います。例えば、校外の活動、野外活動をやるのに、社会教育施設を使いますね。教員のは、大部分の発想はまだ施設を借りて、プログラムは自分たちで作りたい、ただ、その施設を貸してくれればいいんだという発想がまだまだ根強いかなと思うんです。
そういうことを考えると、伊藤先生がおっしゃっているように、施設の職員として力をつけて、プログラムの相談が十分にできる、一緒にプログラムをつくってやる、そういう土壌をつくっていく必要がありますね。そのためには、前段として、施設が持つプログラムの魅力を十分にご理解いただくために、もう少し情報提供を工夫したいと思いますし、先ほど申しました基本的な会議みたいな組織をつくって、社会教育と学校教育が連携するとメリットがこうで、新しい総合的な学習の時間の活用でも、こんな面で使えることを、我々としては、こんなことが支援できるんだというようなことを理解してもらっておく必要があると思うんです。
五十川 実力を持つということについては、職員に限って志向する傾向もあるんじゃないかと思うんですね。例えば、恥ずかしいことなんですが、うちの施設で子どもたちに一番人気があるのは、地元の熊撃ちの話をしてくれる人なのです。この人は、うちを使う学校から引っ張りだこです。