新しい時代に対応して家庭教育だとか、地域教育だとか、学校教育との連携を本格的にやらなきゃいかんということであると、そのあたりも少し直していただくなり、私たちも考えを変えていかなければいけないのかと思うのです。
伊藤 人のために法があるのか、法のために人があるのかということですね。さらには憲法9条にしろ、89条にしろ、法には解釈論の世界がある。
ですから、集団宿泊訓練で、集団といっても1人で来ても施設の中で50人になれば、それも集団ですから。それから、寝ているんですから、これは宿泊。ただし、訓練は誤解されている。訓練は、調練とか、昔の教練とか、鍛練、あるいは型にはめ込むのとは違うんですね。これは、教授に対する訓練なんです。
教授は、教師がいて、教科書を媒体にして一斉に伝達するものです。訓練は個々の子どもに働きかけて子どもを変えていく。子どもたちが主導型で変わっていくのが訓練だという解釈があるわけですから、その解釈をとったらいい。
司会 教育は、相互啓発というか、いろんな人が集まって、そこで相互に影響し合う、意図的にああやれ、こうやれとプログラムを与えてやらなきゃできないというものでもないんですね。
五十川 すごいアバウトかもしれませんけれども、入るときは個でも、中へ入ったら集団じゃないかという感覚があるんですね、今、伊藤先生がおっしゃった。だから、入ってくるときは個かもしれないけれども、中へ入っちゃったら集団じゃないか。また、個になって出ていく。そういうのも許容される時代だし、それを許容しないと我々の施設は、経営というか、本来、現代的な意味合いでの設置されている意味合いがなくなってくるんじゃないかという感じもしますね。
これからの学校との連携はどうあるべきか
司会 それでは次に、さっきもちょっと出ておりましたが、学校とはどういうような連携をというか、かかわりをもったらいいのかという問題に話を進めたいと思います。学習指導要領の改訂もあって、今後、学校からの接触がかなり大きくなってくることが予想されるんですけれども、そのあたりの基本的スタンスなどについてはどうでしょうか。
伊藤 学校関係者には、開かれた学校の場合、校外の人材などを学校教育のために活用すると言いますが、活用という言葉は、自分のために相手を利用するということで感心しません。それと同じことで、施設の人たちがこの言葉を使うようになると終わりです。それを前提にして、一つ目は、たくさんのお客さんがいる学校とうまくタイアップすると利用者がふえるというような「すり寄り理論」というんですか、これは絶対に避けるべきです。学社融合論も、うっかりすると同じ過ちをおかしてしまう。
二つ目は、実力を持てということですね。学校の教師は責任感が強い。その人たちを説得するだけの実力を持てということです。実力がないと、学校側も二の足を踏む。だから、施設の職員は勉強する機会をつくって、教師が安心するような実力を持たなければいけない。
三つ目は、仕組みを考えることです。その一つが、鈴木さんもおっしゃっていましたが、実力を知らせるPRです。