ですから、今、家族単位の利用を推進し、家族が我々の施設へ来て、場所を提供することによって何らかの刺激をを受けて帰るということを求めるならば、運営の仕方自身も根本的に考え直さなきゃいけないんだろう。大集団を相手にした時代から、個を相手にする時代のメニューに切りかえることが必要だろう。私は、集団から個の時代に運営をどう切りかえるかということを5年ぐらい前から言い、進めているんですが、その方法論を持たなきゃいけないんだろう。その上で、先ほど伊藤先生がおっしゃったようないいプログラム開発をし、いい活動をどう提供できるかという努力に入っていくんじゃないか。その大前提をまず打ち破らなきゃどうにもならないというのが現実としてあるなという感じがします。
鈴木 私ども埼玉県では、青少年の健全な育成に向けた緊急施策を実施しておりまして、その中で青年の家や少年自然の家が担当しているのは、親を引っ張り出して、自然体験等を通しながら、子どもと共有する時間といいますか、交流する時間をまずつくろうということで事業化して、今、緊急に実施しているところです。
例えば、私のところでは、小グループでも利用できる県内の社会教育施設に行き、施設活用の良さを知ってもらうということと、親子で活動するプログラムをつくってもらい、心のふれあいの時間をもってもらいました。
そうすると、プログラム開発というのがまず非常に大きな課題になりますし、それから、小さなグループでの利用をどう広げていくのかということも、本腰を入れて検討する課題になってきているわけです。
家族利用の拡大を考える
伊藤 親たちが公共的な訓練を受けていない。そういう親に訓練されているのが今の子どもたちです。だから、ボランティアでもいいでしょう、家族受け入れもいいでしょう、親たちの公共的な訓練の場を提供していくプログラムをもっと開発するべきです。
そのとき、施設の悪い点をまず壊さなければいけませんね。というのは、例えば、先ほど五十川さんがお話しになられた利用は5人以上でなければいけないという硬直的な考えがそれです。集団というんだったら、ハブロンの学説などでは6人という数字が出ている。青年の家の理論は、例えば廣瀬淡窓の成宜園、青年団講習所、YMCA,あるいは修養団の天幕講習、こういうものを研究して構築された。その中にユースホステルがあり、ユースホステルの契約をしてくれ、となったわけです。ユースホステルは当然1人ですから、1人が集まって400人といっても、これは管理上大変な話です。それで、たまたま5人という数字が出てきたので、部屋のベッド数が5でも、何でもなかったんです。
ところが、研修生管理の便法が教育論にすりかえられちゃった。セルフサービスにしろ、朝のつどいに出るにしろ、規律・協同・友愛・奉仕を身につけるためといった具合に、研修生管理の規則がひとり歩きを始めた。それを守る型に強圧的にはめ込まなければ教育機関としての役割が果たせないというような形になってしまった。これが青少年や大人を青少年施設から遠ざけた一因かも知れません。