鈴木 具体的な事例をとってお話ししたいと思うんですが、私どもの埼玉県では、青年の家が全県で10所あって、全所で「生き生き体験活動促進事業」というのをやっています。これは、障害のある児童生徒と障害のない児童生徒の心の交流を目指した事業なんです。
この事業をやる上で各所で工夫しているわけですが、例えば越谷の場合では、必ず親子で参加してもらうこと。それから、越谷青年の家にボランティア相談窓口を開設していまして、ボランティアできる方の登録をしてもらっているんですが、この方たちを積極的に講師として指導者で使っていくこと。例えば、今度「日本の太鼓を聞こう」なんていうコマがあるんですが、太鼓のサークルに登録してもらっていますので、その人たちに協力をしてもらって事業を組みます。
それから、事業の運営に当たってはボランティアをうんと活用しています。幸い、近くの高等学校の部活動にJRC(青少年赤十字)の部活がありまして、この高校生たちが非常によく協力してくれています。青年の家が仕掛け人になるわけで、障害のある子とない子の交流の場をどこで、どんな手段・方法で設けるか、また、地域の人材の活動の場をどう設定するか等々、開かれた施設づくりの上で職員の事門性やチームワークが求められているところでして、今後ますますこの傾向は強まると考えています。
五十川 これからの青年の家に限定してもいいんですが、具体のあり方を考えるときに、今、行政改革という大きな波が来ていますね。財団化の方向に走る県が多くなってきているという現状の中で、この後、どういう方向に青少年教育施設は行くのかという、従前の延長線上でこのまま突っ走っていけばいいというのか、何らかの新たな視点でとらえ直すのかというあたりからの具体的なものが出てくるんだろうと思うんです。
例えば青年の家の魅力は何だろうといったとき、そこにもう1回行ってみようかなと思うような、先ほど伊藤先生がおっしゃったように、あそこに行くと、この道ですばらしい人がいるよ、あれはやっぱり他に得がたい人ですよという人材がいた。例えば、吉澤さんがおられる中央青年の家には、かつて専門職員でダンスを踊ると800踊れる人だとか、ダンスから、スポーツから、音楽から全部できるというような人がいて、その時代としては大変な魅力だったわけですね。中央青年の家詣での時代が、昭和30年代から40年代にあったわけです。
独立行政法人化という問題を抱えていて、これからどう切りかわるかというあたりも、根本的な議論をしっかりしていかないといけないと思うのです。施設は人なりという不朽の名言がありますが、独立行政法人化によって人的構成も当然変わってくるんじゃないかという感じがしますね。