先ほど言いました闘争心あるいは闘争的な技術を持っていなきゃいけないだろう。けんかに勝っとかという力もあるだろう、工夫する力もあるだろう、応用していくという力も必要なんだろう。それから、健康を考えると、長生きをするにはどうすればいいかという力もあろう。それから、群れに同化していくんですから、自分の意思を相手に正確に伝える伝達する方みたいなものも必要なんだろう。
こういうふうに考えていくと、プログラムの中で、それでは、どのコマで、その「生きる力」のどの部分をフォローできるかというような設定が考えられる。そのときにハングリーさみたいなものをベースに考えていったらどうなんだろうと私は思うんです。
先ほど、ソロ活動の話をしましたけれども、あれはまさしくハングリーな状態に追い込むんですね。一番プレッシャーがかかって、ぎりぎりのところに追い込んだときに、子どもたちというのは意外にそれを克服をして帰ってくる。そうすると、豊かさの中の裏返しとしての貧しさ、ハングリーさみたいなものを現代的な手法としてどう組み込んでいくかということも、我々の施設がこれから開発していかなきゃいけないだろうし、努力する部分の研究活動なのかなという感じがするのです。
学校・家庭・地域との連携のあり方は
司会 青少年の現状と、そのよって来るところの話を進めてきましたが、話がもう既にそれに対する教育の問題に入っていますけれども、個々の青少年の家が具体的にどうするかという問題の前提として、学校教育も家庭教育も含めて、私たち大人とか教育関係者は、子どもたちに基本的にはどういうような教育を行っていけば、用意すればいいのかというようなことについてお話ししていただいた上で、具体的な青年の家と家庭とか社会とかの連携のあり方に進めていければと思っているんですけれども。
豊かな人間性を育むという中で、中教審の答申では6つの徳目を挙げているんですが、これを、1つのプログラムの中で、全部あれもこれもというのは難しいんでしょうね。例えば、青年の家でも結構ですけれども、こういうプログラムを用意するといったときに、美しいものや自然に対する感性もねらいます、正義感もねらいますというのは難しいから、やっぱりやるときには、あるものは美しいものや自然を中心にしたもの、あるものは独立心や自立心をやるとか、ある程度プログラムを特化したというんですか、目的を明確にしたプログラムを、それぞれ用意する、そういうようなことの方がいいのではないかと思います。
全部与えて、もう全部入っちゃっているごった煮みたいのをやって、このプログラムは心の教育になりますというよりも、目的を特化したプログラムをいろいろ用意して子どもの現状に合わせて組み合わせていった方が明確になるのかなという感じもするんです。
伊藤 これは難しいですね。学問研究もそうですが、特化というか、分化していくと、あるときにそれを総合化する力が働きます。学際的などの登場がそれですね。教育も同じでしょう。教科が先鋭化してしまって、それでいて、人間の生活は総合的なものですから、合科教育が始まったのでしょう。生活科だとか、今度の総合的な学習の時間がそうですね。ものごとを考える場合の基本の一つがここにあると押さえておく必要があります。