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子どもがいろいろ人間性に欠けるとか、ひ弱になったとか、そういういろんな問題が出てきているのは、1つには、戦後伊藤先生が言われた絶対的権威なものの提示というか、教育がなかったということがあると思われます。さらに原因を探すと、社会が非常に豊かになってきたことがあげられると思うのです。貧しい時代には、親を楽にさせなきゃいけないとか、郷土に錦を飾るために頑張るんだとか、お金持ちになるんだとか、かなり明確な目標が子どもたちにあったんじゃないかと思うんですけれども、こういうふうに豊かになってきますと、子どもは何を目標にするのかわからないのではないか。すべてお金で買えるわけですから、そうすると、自分で体を動かす必要もないし、努力する必要もないし、みんなお金で代替できる、こういう豊かになった時代の子どもに対して、きちっとした「生きる力」をといいますか、心の教育をするというのは非常に難しいような気もするんですけれども、このあたりはどうでしょうか。

伊藤 司会の吉澤さんがご指摘になっているのは、今までの成長社会での教育、俗っぽい言葉で言えば貧に処する教育ですね。これは成功した。勉強すればいい地位につく、たくさんお金が入るという、インストルメントの仕掛けです。これで苦しんでいた親たちが、せめて自分の子どもにはこんな苦しみをさせないというので、成熟社会になっても、成長社会と同じような感じで子どもたちに接して、自分が欲しかったものを子どもたちにぼんぼん買い与え、一方では受験戦争をひき起こした。

だから、長期展望なく、その瞬間、瞬間の法悦的なもので生きていることを確認するような今日の子どもたちが出てきた。成熟社会に見合うような、いわゆる富に処する教育を新たに確立していかなければいけません。青少年施設でも、ここの配慮が大切ですね。

鈴木 今までは、豊かさを手に入れる確かな手段として、誰もがより多くの知識を詰め込みました。

私はもともと教員ですけれども、今、学校教育の中では、そういう教育はもう方向転換して、社会教育の力も借りて、開かれた学校づくりをやろうというようなことが急速に浸透してきています。学校が期待するのは、社会教育施設では「生きる力」となる生活の知恵を子どもたちに、青年にどう具体的につけてくれるかということだろうと思うんです。

そういう意味で、具体的な生活に役立つ知恵を意図的な自然体験・社会体験活動を通しながら学んでもらえる場として、我々の社会教育のエリアとしては、絶好の追い風の時期で、今こそ施設職員としての知恵を大いに出すことが問われているときだと思います。

 

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司会 考え方によっては私も、青少年の教育施設に対して一種の追い風が吹いてきたと思うんです。学校教育でも、総合的な学習の時間ということで、かなりそういう時間を設けられることになりますと、青少年教育の施設の役割や期待は飛躍的に多くなるので、それにどうこたえられるかということではないかと思うんです。

 

 

 

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