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だから、今の日本の子どもたちにもし大人サイドが何かアプローチするのであれば、大自然を通したその種のプログラム、意図的な、計画的なものが必要なんだろうという感じがします。

司会 先ほど伊藤先生が言われたのは、絶対的な存在とか、絶対的権威をわからせるということが1つの倫理観とか、謙虚になるとか、他者に対する協力とか、そういうものになるんじゃないか、それが欠けていたということなんですけれども、戦後の新しいというか、これからの時代に絶対的権威というのは何に置くかというのは、また非常に難しい問題だと思いますが、今、五十川さんが言われた自然に対する畏敬なり大きさなり、そういうものもこれの1つにはなり得るということを示していると思われます。新しい時代に応じた絶対権威というのは、またどういうものを求めるのかというのは、大きな課題ではあるんじゃないかなと思います。

 

畏敬の念に関するプログラムの開発を

 

伊藤 要するに、人知の及ばないというんですか、自分ではどうすることもできないものの存在があれば、人間はおのずとその行動にブレーキがかかる。別の表現を用いれば、自制します。自制心を醸すのに一番いいのは宗教なんでしょう。ただ、公の教育で宗教教育をというわけにもいきません。

ということになれば、それ以外の教育的な手法というのが先ほど申し上げた畏敬の念に関するプログラムで、我々が準備できるものです。

それともう一つは、問題がある大人たちがふえ過ぎたので、この人たちがわかるような目標をつくり、それを皆が絶えず子どもたちに語りかけることが必要だと思う。例えば、人間のあるべき姿を訴えるべきなんでしょうが、ただ、抽象的なことでは理解しずらい。ですから、みんなにわかりやすくしたらいい。それは徳目を掲げることです。

ところで、教育基本法は人格教育を掲げているので、イデオロギーが介入しやすい。戦後の教育は、その意味では不毛な論争が多かったかもしれない。特に、その論争に巻き込まれるのが怖いので、徳目を掲げることについて非常に慎重だった。その点からいいますと、平成10年に出た中央教育審議会の答申は、徳目をはっきり出してきています。公正さだとか、正義感だとか、いろんな形でみんながわかるような徳目を出している。抽象論、あるいはテクニック論や学習の形成論で終始していた今までの姿勢でなくて、わかりやすい形で出しています。

ただけ多価値化社会ですから、それを権力でもって強制するというのじゃなくて、そうでない手法があるんじゃないかな。

 

豊かな社会の中での『生きる力』を考える

 

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司会 それだけに中教審の委員の方には青少年の現状に危機感というのがあったと思われます。少子化の中で、これでは日本の国の将来ばかりでなくさらには青少年自身がそれぞれが充実した生き方をする意味でも、やはり今のままではという危機感が、この中教審の答申にかなりあらわれているんじゃないかというふうに私も思っております。

 

 

 

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